August 15, 2020

戦後75年

2020年始め、まだ新型コロナウィルスが世界中には猛威をふるっていない頃、私はポーランドのクラカウというところにいた。その直前に研究会がフランスのマルセイユであり、マルセイユはフランス全土に拡大してしまったデモの影響で、空港に行けるか行けないか微妙なところだった記憶さえある。その研究会に参加していた友達が私に

「クラカウに行くなら、是非、アウシュヴィッツに行くといい。人生観が変わるよ。」

とアドバイスをしてくれた。2020年1月26日、綺麗な街「クラカウ」からツアーに参加し、アウシュビッツに行ってみた。

「#Auschwitz75」というハッシュタグが至るところにあり、そこで初めて気づいた戦後75周年。アウシュヴィッツもマスコミの方々がいらっしゃるのに、凄い静寂の中にある。広島の原爆ドームに行った時は、活気ある街並みから一転、重苦しい空気に包まれたような感じがしたが、アウシュヴィッツは敷地面積の広さからあたり全体で重苦しい空気が漂っているような気がした。






「学校で何が学べたのだろうか?」と思うことがあった。「目の前」にある現実は、そんなに素直に受け入れられることはなかったと思う。それは帰国した今でもそうだ。要所要所で写真を撮り、「目の前」の現実を直視する。学校では教えてくれない、けど、学ぶことがなければ知ることのない「歴史」。「歴史を繰り返さないための心」を育むということが重要なんだろうと思う。

第一キャンプでは、「Gas Chamber」という単語を何度も聞いた。「Chamber」自体は物理実験で良く使う単語であり、その後、何度か実験室見学をしたが、「Chamber」という単語を聞くたびに思い出す。それくらい強烈な出来事であった。

そして、だだっ広い第二キャンプ。1月のポーランドはとっても寒く、温かい飲み物で暖をとらないといけないほどだった。それでも、「自分の目で見てみたい」と思い、キャンプの中を見学する。


キャンプの中で、ユダヤ人たちが歌っていた歌。今でも歌の意味は分からなかったけど、その歌声が広大な敷地のキャンプの中で悲しく響いているのを今でも思い出す。


戦後75周年。「我々は何を学んできたのであろうか?」
友達が言ってくれた一言で、私の目の前に焼き付いた光景が「過去、現実に起こってしまったこと」であるということを知った。しかも、そう遠くない過去に。もし、私の身の回りでクラカウに行く人がいれば、私も友達のようにアウシュヴィッツに行くことをお勧めしたい。

2020年、新型コロナウィルスで世界中がパンデミックになってしまったが、今日、その1日くらいは「平和」について考えていきたい。

August 13, 2020

Alone Together

この言葉は MIT で技術社会論を専門とする認知心理学者のシェリー タークルの書いた本のタイトルである。彼女の講演はインターネット上を検索すれば山ほど出てくる(例えば、TED トーク)。


私は最近、オンライン上の数日間に渡る集中講義を受講してみた。集中講義の内容は私が今勉強してみたい内容であり、非常に楽しいものであった。だが、1日2時間講義の途中に訪れる「10分休憩」の時間は苦痛で仕方なかった。家で一人ポツンと画面越しの前で10分間無言になる。人数が多ければ、なかなか雑談をやる雰囲気にもならない。更には、誰かがしゃべってしまったら、誰かが喋れなくなってしまう。私自身、コンピュータから音楽をかけてみたり、それなりに「寂しくならない」方法を模索してきたつもりである。でも、この焦燥感みたいな感じは何なのだろうか?今のような「ソーシャルディスタンスの確保」が叫ばれている状況においては、オンラインでの講義というのは、Better Solution のような気がしているが、アナログの機能を補完するように設計された「テクノロジー」による「負の側面」はきちんと認識したい。おそらくこれは教育テクノロジー(EduTech) 以外にも言えることなのだろう。先日、少し紹介した「アナログの逆襲」という本の中に、「テクノロジー過信」による「負の側面」に関しては様々な具体例をもって示されている。

また、新型コロナウィルス拡散防止策により、2020年度後半も「オンライン講義」の機会が減ることはないように思える。もちろん、「オンライン講義」によってプラスになった側面も沢山ある。例えば、「いつでも、どこでも」学べる環境というのが、インターネット環境を整えれば実現できることを示してくれたようにも思える。ただし、これは今までの講義の「保管」or「代替」という訳ではなく、「新しい教育方法」の手段の一つではないだろうか?オンラインの向こう側で、一人一人が「学びたい」という意欲に馳せ、同じ想いを共有している時は良いだろう。ただ、「学びたい」というきっかけを与えてくれる「体験」がどこまで出来るのだろうか?「オンライン講義」の時代に考えなければならない大きな課題なのではないだろうか?と思う。

最後に、戦前のブロードウェイで上映されていた「Flying Colors」の中で歌われていた「Alone Together」の Youtube 楽曲を聞きながら、物思いにふけたいと思う。