October 2, 2023

筑波大学に赴任しました

本日、筑波大学システム情報系の吉瀬系長から辞令をいただきまして、筑波大学システム情報系に着任しました。今後とも皆さまにはお世話になりますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

着任日初日の昨日は、創基151年筑波大学開学50周年の日でした。51年目の歩みを迎える大学に着任できたことで、また開拓者としての気持ちで筑波大学での研究・教育・運営を行っていく予定です。私自身が最も驚いていますが、物理系の所属ではなく、システム情報系情報工学域というところの所属になり、学部生は情報学群 情報科学類から。大学院生は 理工情報生命学術院 システム情報工学研究群 情報理工学位プログラムという所属になります。研究室は「物理情報システム研究室 (Physico-Informatics and Systems Laboratory)」と名付けました。研究室は誰でもいつでもウェルカムですので、遊びに来てください。


基本的に理論物理学者なのに、何故、システム情報系の所属になったのかは本当に不明ですが、計算機の歴史を辿ってみると、少しはそのヒントがあると思い、「計算機と物理学」の間を検討してみたいと思います。

私は東京工業大学で学生を送っていた時代にマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学しました。学科は機械工学科でしたが、MITの古い学科の中に電気工学科の周辺では、過去、Vannevar Bush というアナログ計算機の研究者がいました。素晴らしい研究経歴もさることながら、米国科学財団 (NSF) を設立したということでも知られております。更には、サイバネティクスの産みの親である Nobert Wierner と情報理論の産みの親である Claude Shannon を見出したことでも有名で、世界で一番有名な修士論文と称される現在の「デジタル回路の基礎」(指導教員はHitchcock 型輸送問題で有名なFrank Lauren Hitchcock) がその後のデジタル計算機の誕生へと導いていきました。最初に出来た電子式デジタル計算機の最初のアプリケーションとして知られているのは、John von Neumann が平方採中法と呼ばれる「疑似乱数」で、それが「モンテカルロ法」の原点でもあります。これは計算機革命で起きた「計算機の中でランダムを再現できる」手法だったのです。このJohn von Neumann が電子式デジタル計算機である ENIAC の応用事例として有用だと考えた「気象予報」に対して、貢献してきたのがノーベル物理学賞受賞者の真鍋叔郎先生です。真鍋叔郎先生は正野重方先生のお弟子さんでした。その正野重方先生を気象の道に勧めたのが、物理学者である寺田寅彦先生であるという記録があります。

もう一つの系譜として、寺田寅彦先生に憧れをもって集まった「サイバネティクス研究会」の面々は、その後、「ロゲルギスト」と名前を変え、「物理学の散歩道」を執筆することとなりました。そのメンバーの一人は、物理学者の高橋秀俊先生でパラメトロン計算機を発明された高橋秀俊研究室の学生の後藤英一先生とともに、日本の計算機研究者のパイオニアとされています。

また、Vannevar Bush と共にマンハッタン計画に関わった John Wheeler の系譜は、「情報と物理」の関係から産まれた物理の概念が沢山あり、その一つにかくまっていた物理学者 David Deutsch Charles Bennett の可逆計算機の話を聞き、「間違った物理法則を適用している」と思ったを契機に「量子計算機」のアイディアを想起したという歴史があります。

こうやって歴史を振り返ってみると、寺田寅彦流の物理学を展開しつつ、高橋秀俊のような挑戦者がおり、John Wheeler のグループを中心とした議論が発展し、次の計算機革命を起こそうとしております。そのため、物理学者がシステム情報系にいるというのは不自然ではなく、むしろ必然だったのではないかとさえ思えてきます。

私は、師匠の細谷暁夫先生の学術的師匠である内山龍雄先生が留学していた John Wheeler のような研究室を展開したいと思っており、現代流にアレンジされたものを展開していきたいと思っております。

また、量子電磁力学で発展を残してきた朝永振一郎先生や固体でトンネル効果の実証をなされた江崎玲於奈先生が学長を務めてきた大学に身を置き、学際的な研究を行えることは非常に嬉しいことです。中でも、江崎玲於奈先生が残された「Five Don't Rule」は忘れないためにも最初に書いておきたいと思います。

  1. Don’t allow yourself to be trapped by your past experiences.
  2. Don’t allow yourself to become overly attached to any one authority in your field – the great professor, perhaps.
  3. Don’t hold on to what you don’t need.
  4. Don’t avoid confrontation.
  5. Don’t forget your spirit of childhood curiosity.
今後、様々な困難が待ち受けていると思いますが、これまで培ってきたものを活かしながら前に進んでいきたいと思っています。そのためには、皆さんの協力が不可欠です。是非ともよろしくお願いします。

September 30, 2023

群馬大学を退職するにあたり・・・

既にお知らせさせていただいた方もいらっしゃいますが、群馬大学理工学府理工学基盤部門の准教授として、2021年4月1日に着任し、本日をもって退職いたします。初めての地方国立大学に赴任し、更に主に初年次教育に携わってきました。在任中、群馬大学の皆さまには本当にお世話になりました。気持ちよく、スムーズに送り出していただいたことに感謝しております。


様々な大人の事情が重なり、基本的には群馬大学荒牧キャンパス内に研究室は主宰していたものの、研究室配属の学生さんは1人もおりませんでした。更には、インターンシップの学生さんも誰も採用しませんでしたし、リクルートすることもしませんでした。


群馬大学在任中は、まとまったアウトプットがなく、何をしていたのだと言われそうですが、基本的には大量に本を買い込み、黙々と勉強していました。基本的には1人で研究を進めなければなりませんでしたので、何かの研究に本来は没頭するのがセオリーだったと思うのですが、着任した当時、プロジェクト研究から外れて、久々にPIとして研究室を整備することになったので、私の指導教員である細谷暁夫さんが
「定職を得た研究者が胸の高まりも無く、ただ論文の数を増やし、科学研究費を獲得して行くことの方がいいのだろうか?冒験者の大部分は失敗し、ごく少数のものが新しいコンセプトを切ち開くのではないだろうか?私には失敗を覚悟で冒険することが、僥倖によって定職を得た科学者の道徳的義務とさえ思う。」
と定年退職をする際に記事に残していたのを思い出し、ただただ漫然と研究していくことはやめようと思いました。ただ、テニュアトラック制度としての採用であったため、本来は「定職を得た研究者」にはなっていませんでしたが、何かしら新しいことをやっても研究は出来るだろうし、5年の期間中には何か出来るだろうと思いました。

群馬大学在任中にプロジェクトとしては以下のようなもので、今まで研究したことのないものが多かったような気がします。
  • 量子乱数の研究:JSTさきがけ「セキュア量子乱数に基づくハイブリッド量子秘密計算基盤の創出」の研究課題ももとで本来はもっと進めるべきだったと思いますが、研究課題が採択された慶応義塾大学時代とは状況が異なり、思うようには研究が進まなかったと思っています。在任中の2022年のノーベル物理学賞の受賞理由が「ベルの不等式の破れ」であり、「ループホールフリー」のベルの不等式の破れは実証されていますが、更なる研究として「真性乱数」の存在を見破らなければなりません。そのため、まだまだ研究の余地が残されているように思えます。これは今後、引き続き研究をしていきたいなと思っています。
  • 量子品質工学の研究:JSTさきがけ「セキュア量子乱数に基づくハイブリッド量子秘密計算基盤の創出」の研究課題から派生された研究だと思っていて、量子情報技術を発展させる上で重要なコンセプトだったと思います。桐生高等工業学校(現、群馬大学理工学部)出身の田口玄一博士のように品質工学の発展形を目指していました。まだまだ時間がかかるなぁ・・・というのが正直な感想です。
  • 原子核物理と量子情報科学の融合:原子核物理分野で第一原理計算をやられている阿部 喬さん(現、慶応義塾大学量子コンピューティングセンター特任准教授)に学生時代に東工大の研究室で大変お世話になったことをきっかけに原子核物理屋さんと議論していました。理化学研究所にある RIBF を用いた実験プロジェクトに誘われ、あれよあれよという間に一緒に実験を行っていました。まだ何も論文を書いていませんが、そのうち原子核物理と量子情報科学が融合できるような研究が出来たらよいなぁ・・・と思っています。その意味で、量子力学黎明期の発展を支えてきた原子核物理を勉強出来たのはとっても良かったと思っています。この際、初めて組織として関与したかったので、同年代で研究室を主宰していた加田渉准教授(同じく、今日で退職。)と鈴木真粧子准教授に関わっていただきました。また、機器分析センターにはお世話になりまして、特に技術職員の坂本広太さんにはお世話になりました。研究上では群馬大学在任中、一番時間を割いていたかもしれません。笑 それが故に、色んなものとの繋がりが分かってきて、今後に対して、何をしなければならないのかという道筋も見えてきました。
  • 機械学習の応用研究:実験データにこれまで以上に積極的に触れる機会が多くなってきましたので、そのデータ解析手法として機械学習で使われている手法を沢山勉強し、それを応用する際の問題点が何であるのかを調べてきました。物理のような何かを解明していくタイプの研究ではなく、いささか場当たり的な感じもしましたが、純粋な数理的な理論体系を実データに応用していくことの難しさが何であるのかということを実感しました。こんな遊びから生まれた研究論文は2報 (Scientific Reports, Annalen der Physik) まとめられています。
  • 物理教育の研究:ひょんなことがきっかけで、大学の物理教育誌に「はじめての講義」という欄に記事を執筆することになりました。着任当時、まだコロナ禍の真っ只中であったことを良いことに、基本的にはオンライン授業で学ぶ意義を考えたりしていました。教授法も手探りでしたが、予備校でもなく、大学の従来の教育法でもないものに挑戦してきました。そして、模索していく中で、「大学の物理教育は、教育の担い手は研究者で自分自身の研究対象にはデータをとったりと論理的・定量的に分析するためのツールを考えるにも関わらず、教育は感覚的・理念的になってしまうのは何故だろう」と思うようになり、授業アンケートなどを積極的に活用しながら、授業改善を行うというより前に、授業の在り方・教養の在り方を定量的に分析していくことが重要であろうと思うに至りました。認知心理学の知見などを取り込みながら、どういう授業スタイルが教員にも受講している学生にもハッピーな形になりえるのかを「研究しながら」考えていました。
こんなに統一感なく研究が出来たのは、地方国立大学で特定のテーマを決めず、研究室の学生のテーマを考えることなく楽しめたからだなぁ・・・と思っています。本当にメリットだったと思っています。また、基本がオンライン授業であったからこそ、週に1度くらいしかコロナ禍後もオフィスには行かず、引越さなかった家の近所の武蔵小杉オフィスを構えて、日々、色々な試行錯誤を行ってきました。このような体制を許していただいた皆さんには感謝しております。お陰様で、最低限ではありますが、研究は進展したと思っていますし、群馬からどこかに出張することは非常に大変ですが、武蔵小杉からであれば、気楽に出張できました。また、コロナ禍を通じて家のあった元住吉の住民の皆さんと積極的に交流するようになり、私が知らなかった世界を次々と見せてもらいました。結局、慶応義塾大学着任時から住み始めたので、合計5年半住んでいました。商店街文化も根付いていて、元住吉は本当に「住みよい」街でした。ありがとうございます。

また、一概に「地方」と言っても、交通のアクセス状況によって、事情が様々に異なるということも理解でき、統一的な「地方大学の問題」というものは、あまり存在していないのではないか?と思いました。でも、予算が削減されている問題を肌で実感し、新しいことを動き出そうにもゴミが残されたままで出来ない問題があったりと、今まで以上に何をしていくことが良さそうなのか、そして、持続可能なスタイルはどのようなものであるのかということを考えてきました。今まで、国立の研究機関、中央の国立大学、中央の私立大学、地方国立大学と赴任してきましたが、それぞれに問題は山積していますが、それぞれに楽しみながらやってきました。もちろん、今回の群馬大学も非常に楽しくやらせていただいかと思います。ありがとうございました。色々な方々に支えられ、プライベートには色んな事があった期間ではありましたが、楽しめたことには感謝しかありません。ありがとうございました。そして、明日から新しい職場ですが、今後ともよろしくお願いします。