この世には、失敗もなければ偶然もない。すべての出来事は、私たちに与えられた恵み、何かを学ぶ機会なのだ。
エリザベス キュープラー ロスという精神科医の格言である。今回の COVID-19 対策での在宅勤務や在宅学習は、色々なことを一時的に機能をストップさせたり、低下させて、普段考えないことを考える時間がとれた方も多かったのではないかと思う。
私自身、普段ではなかなか出来なかった自分自身と向き合う時間が増え、雑談に代わるものとして、毎日、何かしらの本を読み、こんな状況だけど、色んなことを勉強できたと思っている。
また、日々、「学びを止めるな」というスローガンのもと、「教育」に注目が集まっていたのも事実のように思える。オンライン化できる部分はして、「学ぶ機会」をというものも多かったが、最終的にはどのようなことを「学んで」欲しいのだろうか?
「学ぶ」という事は、学校に行き授業を受けることでも、友達と話すことでも、そのあたりを散歩している時でも出来る。日常生活から仕事をしている時まで、「学び」の機会は落ちている気がする。それを「学ぶ」か「学ばない」かを判断するのが自分自身であるということだけなのではないか?そうすれば、「学べない」時はきっとないだろう。ただ一方で、何かをやっていこうとする上で、「学ばなければならないこと」ということはあるであろう。そのような「学ぶ機会」は最低限提供されていなければならないのではないだろうか?
コロナ禍において、「大学の役割」とは何だろうか?ということを考える機会は多くなったような気がする。また、そのようなオンラインシンポジウムなども開催されるようなことが多くなったように思える(ただ、目にする機会が増えただけかもしれないが)。「学び」が日常化すれば、決して、新しいこと(研究分野)を勉強しようという抵抗もなくなるのではないだろうか。「学ぶ日常」をトレーニングする場として「授業」というのは機能している部分があるのではないだろうか?