July 1, 2020

「憧れ」の日常化

「憧れの最近接領域」
この言葉は、ロシアの心理学者レフ・ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」を教育のコンテストの中で発展させた同志社女子大学名誉教授の上田信行先生の言葉である。
「あなたがいるから頑張れる」「君と一緒だからもっと上を目指せる」。他者の存在が、自分の可能性を広げていく、そうした希望を込めて、僕はそう呼んだのです。(プレイフル・ラーニング p.83)
とコアなアイディアが書いてあるように思える。私自身、上田先生とは MIT で研究していた時に MIT Media Lab の中でお会いした。フットワークの軽快さと貫かれている信念のようなものがうまくミックスされ、一緒にお話をしていると、とにかく勉強になるし、楽しい。


一方で、「憧れ」が「憧れのまま」ではないだろうか?私自身、MITに行き、ボストンに住む前の「アメリカ」と住んだ後の「アメリカ」のイメージは180度変わってしまったというくらい変わっている。私自身は、「アメリカへの憧れ」はあまり無かったが、「海外に住むことへの憧れ」はあったように思える。ただ、「住めば都」という諺があるように、「案外、普通」という感覚に陥った。しかし、「憧れの存在」が何か同じ「人間」のやったことではないというような、「近づけない存在」として捉えてしまっているのではないだろうか?そんな感覚に陥っていることはないだろうか?たまに、「教科書の人」と言われている過去の偉大なる研究者が「天才的」に描写されることがあるが、「偉大なる業績を残した研究者」も案外、人間味があるということは伝記を通じて学んだり、実際に生きているのであれば、会ってみたりすると分かる。

「見えないもの・見ていないものを盲目的に憧れる」ということは、何となく物事の本質を表している気がしてならない。

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