今からちょうど1か月前に、「学び」についてのブログを書いた。現在、オンライン授業で様々な観点から「教育体制の再構築」への模索が始まっているように感じる。私自身、このような取り組みは現在のような異常事態において、良い試みなのではないか?と思う。ただ、一方で、「教育のやり方を変える」というコンテクストでは、今までの「授業の仕方」や「教科書の内容」が悪者扱いされるケースも多い。単純に比較をすることで、「教育体制の再構築」に関する論点を明確化しやすいという反面、今までの「授業の仕方」や「教科書の内容」そのものの評価というのがきちんとされているのか疑わしい。私個人としては、これまでになされてきた「教育」そのものが悪かったのか?と思うと、少なくとも私が受けてきた教育はそんなに悪くなかったのではないか?と思っている。私の立場に一番近い、大学の授業を例に、初年次くらいを想定した「授業」について考察してみたい。
注:私自身は大学教員ではあるものの、授業を担当しているわけではないことに注意されたい。
大学の初年次の「授業」内容は、何となく変わり映えのしないものが多いように感じる。特に、所謂、理系と呼ばれる学問を学ぶ場合、「知っておくべき」内容というのが非常に多い。大学に入学した頃には全く意味の分からなかった科目も多いと感じる。そして、私の場合は、授業にそのうち出席しなくなって、自分で勉強を始めていた気がする。自分自身を養護するわけではないが、大学での「授業」の意義というのは、「学び」を日常化するというのが大きな使命なのではないか?と思う。歯を磨くのと同じように、意識しなくても「学ぶ」姿勢を身につけることを、それぞれの科目を通じて学んでいるのではないだろうか?その上で、「学ぶ」姿勢が習慣化されていない人においては、半ば強制的に「学ぶ」姿勢を「授業」という定期的にあるものを通じて、習慣づけていくことが出来るのかもしれないと思う。「授業」に出席することが目的ではなくて、「学ぶ」姿勢が身につけば良いのではないだろうか?私自身、ティーチングアシスタントとして大学院生時代に教壇にたっていたが、大学1年生の「基礎物理学演習」という科目の中で、「学ぶ」環境づくり(学びあえる友達をつくる)ということを意識して授業をしていたが、それは「学ぶ」姿勢を習慣づける意義があったのではないか?と思っている。
それでは、(ある意味、つまらない)「科目の内容」についてはどのように考えるべきなのだろうか?学部の前期課程についての「教育内容」というのは、私個人の感想では、授業を受けたその時点では意味は分からないかもしれないけど、将来、何かで困った時に、「戻ってこられる」ポイントを作ることなのだと思う。私自身も論文執筆過程で、学部の授業で習ったことが分かっていなかったと思い、「線形代数」や「微分積分」の1年生向け教科書を復習したりしたことがある。(というより、そんなことが頻繁である。)「力学」や「電磁気学」を何度勉強しても、新しい発見があるように思えるし、様々な視点からみると、更に面白く内容を理解できているように思える。ただ、30歳も超えて、今さら大学1年生の「教科書」を手にとり勉強するという姿は何とも恥ずかしい。だからこそ、そこには「学び直す」勇気が必要なんだと思う。
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