April 8, 2024

How to discover your own path

以前、キャリアの探し方に関する英語のエッセイを執筆したので、その再掲です。新年度なので掲載してきます。
    Upon entering university, you may think that you are free to do whatever you want as a student. Your parents, seniors, mentors, and teachers will often say that you will discover what you want to do and freely engage in it within the university campus. While such student-based curiosity-driven activities are always welcome and even strongly encouraged by faculty members, will you easily find what you want to do? Or do you need to decide on what you want to do during your student life before entering university? I think that it is extremely hard to discover your own path and determine what to study. When you speak openly about such worries with your friends in the campus, you will find that many students share your concerns as they too face troubles regarding similar matters. 
    Looking back at my freshman year, I had not decided on my future career and what I wanted to pursue in the university. When some of my friends shared their dreams and future careers, I always asked myself why I enrolled in this university. Furthermore, even when I received my doctoral degree nine years after entering the university, I struggled to identify a career direction and understand what I needed to do as an academic researcher. The lesson I learned from my student life was that it is most difficult for one to recognize one’s abilities and to decide on what one wants to pursue. Fortunately, right now, I have discovered my own path and am enjoying science as a physics researcher. 
    Unfortunately, there is no systematic or unique method to discover your own path and determine what to pursue during your campus life. Nevertheless, you do not want to spend boring days in the university. When you ask somebody about what to do in the campus life, they may suggest that you actively and enthusiastically participate in classes, part-time jobs, and extra-curricular activities. However, you may not heed their advice. In such situations, you may become annoyed. As a university student, controlling such uneasy feelings is a challenge. When your friends discover and forge their own paths, you might compare yourself with them. However, such comparisons are unnecessary because each individual is essentially different from you and will pursue different careers. You should only evaluate yourself. When you walk around the campus, you may notice strange monuments, an unusually-shaped classroom, or an uninspiring building and accidentally cross paths with classmates. Casual conversations between friends may inspire your heart and alleviate your worries. The university campus may bring forth serendipitous events to inspire ambition. Because nobody knows when opportunity will present itself, the preparation period—that is, period of feeling uneasy and unsure—is important. Therefore, one should make the most of such moments.

 

Illustration: courtesy of Misato Kusakabe [myaguro]



April 3, 2024

知識と智慧


新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今頃は、新しく始まる大学生活に期待と不安が入り混じっている頃ではないかと思います。私自身、20年以上前、大学に入学した際の頃、何を考えていたのかを思い返すと、何事にも全力投球をしようとしすぎて、肩に力が入りすぎていた事を思い出します。入学式の日、学長を始めとして、何人かの方が貴重な祝辞をいただいたと思うのですが、申し訳ないことに、今では全く記憶に残っておりません。何となく毎日、楽しそうだという理由だけでキャンパスに行き、「とりあえず、やってみよう」という精神で突き進んできました。キャンパス内で偶然なのか必然なのか分からない出会いが様々あり、結果として楽しく充実した大学生活が過ごせたことは間違いないかなと思っております。そのような多様な機会は一度には処理できない程の情報量があり、それを全部見てからでないと決断できないとなると、心身共に疲れてしまうのではないかと思っております。自分自身のアンテナを常に張り巡らせながら、自分自身の直感にかけてみるというのも良いのではないかと思っております。

さて、私自身、決して模範となるような学生ではなかったということは、当時、周囲にいた人たちが大勢証言してくれると思いますが、大学の授業で何を学ぶことが重要なのかということを教壇に立つようになってから考えるようになりました。大学院生の頃、担当させていただいていた1年生の物理学(力学・電磁気学)の演習では、今となっては難しい骨のある演習問題ばかりをやってもらっていたような気がします。骨のある演習問題を研鑽することで、「1人では解けない問題がある」ということを具現化することを心掛け、それをクラス内の人たちと共有することによって、自然とグループワークを行うことを推奨してきました。これは、前職の群馬大学の1年生の物理学(力学・電磁気学)の授業においても基本的には同じ方針でしたが、コロナ禍ということもあり、「一緒に学ぶ」ということが難しい時期であったので、ブレイクアウトルームなどを多用して工夫をしていた思い出があります。しかし、前職の授業方法を振り返るうちに、「何故、物理学という科目を教えなければならなかったのか?」という疑問に再度ぶつかりました (過去の疑問はこちらより)。大学教育における教養というのは「物理学」という学問に対する「知識」を身につけることだったのか?という疑問です。年々増加してきている「答え」を追い求めてしまう体制であったり、先端的なものを追いかけようとする態度は、どうしても「知識」を手に入れたいという欲求に似ている気がします。ただ、「知識」は常にアップデートされ続けていくものであり、そのいたちごっこを続けなければなりません。そのようなすぐに古くなってしまう「知識」を膨大にかき集めても、大学卒業時に何が残るのか?という疑問は尽きません。私自身が学生時代より「知識」の生産スピードは格段に上がり、頭の中をパンパンにさせて卒業させていくことが重要なのでしょうか?専門職に就き、大学で得た「知識」がすぐに役立つというキャリアパスもあるでしょうが、大学で学ぶ大半の学問分野は「知識」がすぐに役立つということは稀有なのではないでしょうか?そこで、大学の中で学ぶべきものは「智慧」なのではないか?と思うわけです。授業というコンテンツを通じて、大学教員は自分自身の考え方を表現する場を与えられ、その考え方・学問に対する姿勢を見せていくことが重要なのではないかと思います。そして、これまでに学問を築き上げた偉人たちの考え方を伝達することで、「知識」ではなく「智慧」を授けることが出来るのではないか?と思うに至りました。ただ、「知識」は一方的に1人でも会得することが出来るとは思いますが、「智慧」を1人で会得することは私は非常に難しいのではないかと思っています。そのために、大学には広大なキャンパスがあり、その中で切磋琢磨することでしか会得できない「智慧」が詰まっているのではないかと感じております。

改めて、大学生になった皆さん、入学誠におめでとうございます。大学生活を楽しんでもらえればと思います。

追伸:
筑波大学生で私と話をしてみたいという方がいらっしゃいましたら、気軽に第3エリア 工学系学系F棟 (第3エリア前のバス停の一番高い建物) 911号室にお越しいただければと思います。

October 2, 2023

筑波大学に赴任しました

本日、筑波大学システム情報系の吉瀬系長から辞令をいただきまして、筑波大学システム情報系に着任しました。今後とも皆さまにはお世話になりますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

着任日初日の昨日は、創基151年筑波大学開学50周年の日でした。51年目の歩みを迎える大学に着任できたことで、また開拓者としての気持ちで筑波大学での研究・教育・運営を行っていく予定です。私自身が最も驚いていますが、物理系の所属ではなく、システム情報系情報工学域というところの所属になり、学部生は情報学群 情報科学類から。大学院生は 理工情報生命学術院 システム情報工学研究群 情報理工学位プログラムという所属になります。研究室は「物理情報システム研究室 (Physico-Informatics and Systems Laboratory)」と名付けました。研究室は誰でもいつでもウェルカムですので、遊びに来てください。


基本的に理論物理学者なのに、何故、システム情報系の所属になったのかは本当に不明ですが、計算機の歴史を辿ってみると、少しはそのヒントがあると思い、「計算機と物理学」の間を検討してみたいと思います。

私は東京工業大学で学生を送っていた時代にマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学しました。学科は機械工学科でしたが、MITの古い学科の中に電気工学科の周辺では、過去、Vannevar Bush というアナログ計算機の研究者がいました。素晴らしい研究経歴もさることながら、米国科学財団 (NSF) を設立したということでも知られております。更には、サイバネティクスの産みの親である Nobert Wierner と情報理論の産みの親である Claude Shannon を見出したことでも有名で、世界で一番有名な修士論文と称される現在の「デジタル回路の基礎」(指導教員はHitchcock 型輸送問題で有名なFrank Lauren Hitchcock) がその後のデジタル計算機の誕生へと導いていきました。最初に出来た電子式デジタル計算機の最初のアプリケーションとして知られているのは、John von Neumann が平方採中法と呼ばれる「疑似乱数」で、それが「モンテカルロ法」の原点でもあります。これは計算機革命で起きた「計算機の中でランダムを再現できる」手法だったのです。このJohn von Neumann が電子式デジタル計算機である ENIAC の応用事例として有用だと考えた「気象予報」に対して、貢献してきたのがノーベル物理学賞受賞者の真鍋叔郎先生です。真鍋叔郎先生は正野重方先生のお弟子さんでした。その正野重方先生を気象の道に勧めたのが、物理学者である寺田寅彦先生であるという記録があります。

もう一つの系譜として、寺田寅彦先生に憧れをもって集まった「サイバネティクス研究会」の面々は、その後、「ロゲルギスト」と名前を変え、「物理学の散歩道」を執筆することとなりました。そのメンバーの一人は、物理学者の高橋秀俊先生でパラメトロン計算機を発明された高橋秀俊研究室の学生の後藤英一先生とともに、日本の計算機研究者のパイオニアとされています。

また、Vannevar Bush と共にマンハッタン計画に関わった John Wheeler の系譜は、「情報と物理」の関係から産まれた物理の概念が沢山あり、その一つにかくまっていた物理学者 David Deutsch Charles Bennett の可逆計算機の話を聞き、「間違った物理法則を適用している」と思ったを契機に「量子計算機」のアイディアを想起したという歴史があります。

こうやって歴史を振り返ってみると、寺田寅彦流の物理学を展開しつつ、高橋秀俊のような挑戦者がおり、John Wheeler のグループを中心とした議論が発展し、次の計算機革命を起こそうとしております。そのため、物理学者がシステム情報系にいるというのは不自然ではなく、むしろ必然だったのではないかとさえ思えてきます。

私は、師匠の細谷暁夫先生の学術的師匠である内山龍雄先生が留学していた John Wheeler のような研究室を展開したいと思っており、現代流にアレンジされたものを展開していきたいと思っております。

また、量子電磁力学で発展を残してきた朝永振一郎先生や固体でトンネル効果の実証をなされた江崎玲於奈先生が学長を務めてきた大学に身を置き、学際的な研究を行えることは非常に嬉しいことです。中でも、江崎玲於奈先生が残された「Five Don't Rule」は忘れないためにも最初に書いておきたいと思います。

  1. Don’t allow yourself to be trapped by your past experiences.
  2. Don’t allow yourself to become overly attached to any one authority in your field – the great professor, perhaps.
  3. Don’t hold on to what you don’t need.
  4. Don’t avoid confrontation.
  5. Don’t forget your spirit of childhood curiosity.
今後、様々な困難が待ち受けていると思いますが、これまで培ってきたものを活かしながら前に進んでいきたいと思っています。そのためには、皆さんの協力が不可欠です。是非ともよろしくお願いします。

September 30, 2023

群馬大学を退職するにあたり・・・

既にお知らせさせていただいた方もいらっしゃいますが、群馬大学理工学府理工学基盤部門の准教授として、2021年4月1日に着任し、本日をもって退職いたします。初めての地方国立大学に赴任し、更に主に初年次教育に携わってきました。在任中、群馬大学の皆さまには本当にお世話になりました。気持ちよく、スムーズに送り出していただいたことに感謝しております。


様々な大人の事情が重なり、基本的には群馬大学荒牧キャンパス内に研究室は主宰していたものの、研究室配属の学生さんは1人もおりませんでした。更には、インターンシップの学生さんも誰も採用しませんでしたし、リクルートすることもしませんでした。


群馬大学在任中は、まとまったアウトプットがなく、何をしていたのだと言われそうですが、基本的には大量に本を買い込み、黙々と勉強していました。基本的には1人で研究を進めなければなりませんでしたので、何かの研究に本来は没頭するのがセオリーだったと思うのですが、着任した当時、プロジェクト研究から外れて、久々にPIとして研究室を整備することになったので、私の指導教員である細谷暁夫さんが
「定職を得た研究者が胸の高まりも無く、ただ論文の数を増やし、科学研究費を獲得して行くことの方がいいのだろうか?冒験者の大部分は失敗し、ごく少数のものが新しいコンセプトを切ち開くのではないだろうか?私には失敗を覚悟で冒険することが、僥倖によって定職を得た科学者の道徳的義務とさえ思う。」
と定年退職をする際に記事に残していたのを思い出し、ただただ漫然と研究していくことはやめようと思いました。ただ、テニュアトラック制度としての採用であったため、本来は「定職を得た研究者」にはなっていませんでしたが、何かしら新しいことをやっても研究は出来るだろうし、5年の期間中には何か出来るだろうと思いました。

群馬大学在任中にプロジェクトとしては以下のようなもので、今まで研究したことのないものが多かったような気がします。
  • 量子乱数の研究:JSTさきがけ「セキュア量子乱数に基づくハイブリッド量子秘密計算基盤の創出」の研究課題ももとで本来はもっと進めるべきだったと思いますが、研究課題が採択された慶応義塾大学時代とは状況が異なり、思うようには研究が進まなかったと思っています。在任中の2022年のノーベル物理学賞の受賞理由が「ベルの不等式の破れ」であり、「ループホールフリー」のベルの不等式の破れは実証されていますが、更なる研究として「真性乱数」の存在を見破らなければなりません。そのため、まだまだ研究の余地が残されているように思えます。これは今後、引き続き研究をしていきたいなと思っています。
  • 量子品質工学の研究:JSTさきがけ「セキュア量子乱数に基づくハイブリッド量子秘密計算基盤の創出」の研究課題から派生された研究だと思っていて、量子情報技術を発展させる上で重要なコンセプトだったと思います。桐生高等工業学校(現、群馬大学理工学部)出身の田口玄一博士のように品質工学の発展形を目指していました。まだまだ時間がかかるなぁ・・・というのが正直な感想です。
  • 原子核物理と量子情報科学の融合:原子核物理分野で第一原理計算をやられている阿部 喬さん(現、慶応義塾大学量子コンピューティングセンター特任准教授)に学生時代に東工大の研究室で大変お世話になったことをきっかけに原子核物理屋さんと議論していました。理化学研究所にある RIBF を用いた実験プロジェクトに誘われ、あれよあれよという間に一緒に実験を行っていました。まだ何も論文を書いていませんが、そのうち原子核物理と量子情報科学が融合できるような研究が出来たらよいなぁ・・・と思っています。その意味で、量子力学黎明期の発展を支えてきた原子核物理を勉強出来たのはとっても良かったと思っています。この際、初めて組織として関与したかったので、同年代で研究室を主宰していた加田渉准教授(同じく、今日で退職。)と鈴木真粧子准教授に関わっていただきました。また、機器分析センターにはお世話になりまして、特に技術職員の坂本広太さんにはお世話になりました。研究上では群馬大学在任中、一番時間を割いていたかもしれません。笑 それが故に、色んなものとの繋がりが分かってきて、今後に対して、何をしなければならないのかという道筋も見えてきました。
  • 機械学習の応用研究:実験データにこれまで以上に積極的に触れる機会が多くなってきましたので、そのデータ解析手法として機械学習で使われている手法を沢山勉強し、それを応用する際の問題点が何であるのかを調べてきました。物理のような何かを解明していくタイプの研究ではなく、いささか場当たり的な感じもしましたが、純粋な数理的な理論体系を実データに応用していくことの難しさが何であるのかということを実感しました。こんな遊びから生まれた研究論文は2報 (Scientific Reports, Annalen der Physik) まとめられています。
  • 物理教育の研究:ひょんなことがきっかけで、大学の物理教育誌に「はじめての講義」という欄に記事を執筆することになりました。着任当時、まだコロナ禍の真っ只中であったことを良いことに、基本的にはオンライン授業で学ぶ意義を考えたりしていました。教授法も手探りでしたが、予備校でもなく、大学の従来の教育法でもないものに挑戦してきました。そして、模索していく中で、「大学の物理教育は、教育の担い手は研究者で自分自身の研究対象にはデータをとったりと論理的・定量的に分析するためのツールを考えるにも関わらず、教育は感覚的・理念的になってしまうのは何故だろう」と思うようになり、授業アンケートなどを積極的に活用しながら、授業改善を行うというより前に、授業の在り方・教養の在り方を定量的に分析していくことが重要であろうと思うに至りました。認知心理学の知見などを取り込みながら、どういう授業スタイルが教員にも受講している学生にもハッピーな形になりえるのかを「研究しながら」考えていました。
こんなに統一感なく研究が出来たのは、地方国立大学で特定のテーマを決めず、研究室の学生のテーマを考えることなく楽しめたからだなぁ・・・と思っています。本当にメリットだったと思っています。また、基本がオンライン授業であったからこそ、週に1度くらいしかコロナ禍後もオフィスには行かず、引越さなかった家の近所の武蔵小杉オフィスを構えて、日々、色々な試行錯誤を行ってきました。このような体制を許していただいた皆さんには感謝しております。お陰様で、最低限ではありますが、研究は進展したと思っていますし、群馬からどこかに出張することは非常に大変ですが、武蔵小杉からであれば、気楽に出張できました。また、コロナ禍を通じて家のあった元住吉の住民の皆さんと積極的に交流するようになり、私が知らなかった世界を次々と見せてもらいました。結局、慶応義塾大学着任時から住み始めたので、合計5年半住んでいました。商店街文化も根付いていて、元住吉は本当に「住みよい」街でした。ありがとうございます。

また、一概に「地方」と言っても、交通のアクセス状況によって、事情が様々に異なるということも理解でき、統一的な「地方大学の問題」というものは、あまり存在していないのではないか?と思いました。でも、予算が削減されている問題を肌で実感し、新しいことを動き出そうにもゴミが残されたままで出来ない問題があったりと、今まで以上に何をしていくことが良さそうなのか、そして、持続可能なスタイルはどのようなものであるのかということを考えてきました。今まで、国立の研究機関、中央の国立大学、中央の私立大学、地方国立大学と赴任してきましたが、それぞれに問題は山積していますが、それぞれに楽しみながらやってきました。もちろん、今回の群馬大学も非常に楽しくやらせていただいかと思います。ありがとうございました。色々な方々に支えられ、プライベートには色んな事があった期間ではありましたが、楽しめたことには感謝しかありません。ありがとうございました。そして、明日から新しい職場ですが、今後ともよろしくお願いします。

February 5, 2022

unmeets

久しぶりにブログを書くことにした。オミクロン株 (SARS-CoV-2の変異株B.1.1.529系統) における新型コロナウィルスの影響が猛威を奮う前、奈良・吉野「neomuseum」(同志社女子大学の上田信行先生のおつくりになったワークショップ専門ミュージアム)で「unmeets2022(アンミーツ2022)」というイベントが計画され、参加する予定にしていた。

このイベントは、どちらも教育を専門とする専門家である同志社女子大学におられた上田信行先生と現在は立教大学に異動された中原淳先生の共著で書かれた「プレイフル・ラーニング」という本が出版されてから10年という節目の年に企画された企画であった。

上田信行先生とは、私自身がMITに留学していた時に同時期にMITメディアラボにいらっしゃっていた先生で、毎回、異種交流戦での会話を楽しんでいた記憶がある。帰国後も、私を同志社女子大学のゼミに参加させてもらったり、いきなり、「旅する neomuseum」という Facebook ライブ限定のラジオ配信イベントにゲストとして出させてもらったり、更には、「場のデザイン」というコンセプトで様々な建築家の方々と交流があり、その現場に参加させていただりと、非常に楽しい時間を過ごさせてもらっている。ワークショップのデザイナーと呼ぶべき上田信行先生は、日々違う仕掛けが必ず用意されていて、毎回、最初は多少なりとも不安になるものであるが、その日が終わった時には言い表しようがない達成感に満ち溢れている。

何かの機会に見つけた今回の「unmeets2022」のイベント。「会うこと」の意味を考えるというワークショップで非常にテーマが興味深かったこと、更には、まだ行ったことのない奈良・吉野の地へ出向いてみたいと思い、参加申し込みをしたが、見事にオミクロン株の拡大のためにイベント自体は延期。代わりにオンラインイベントを開催することになった。そこには、対面イベントでは感じることが出来なかった「オンライン上で会う」ためのヒントが様々に隠されいたように思える。

まず、事前準備。私が2008年3月に Michael Nielsen という業界のスター研究者がトロントで一般の人も巻き込んだイベントをするということで、トロントの街に初めて行きたいということもあって、申し込んだ「SciBarCamp @ U Toronto」というイベント。私は当時幸いなことに Michael Nielsen のオフィスがあった Perimeter Institute for Theoretical Physics というトロントから少し離れた Waterloo というカナダの小さな田舎街に滞在していた。そこで、イベントの準備をしている Michael Nielsen に出会い、どうしてこんなイベントをやっているのか?更には、どのような事前準備が必要なのか?ということを学んだ。そこで、出会ったのが会議のプログラムを事前に全く決めない Unconference 形式というワークショップ形式であった。当時の私は、今よりも英語で表現するのが非常に難しく、色々と苦労することがあったが、1日の最後にパブで行われる組織委員だけのミーティングに参加して、翌日のワークショップがどのようなものになるのか?ということを検討していた。それは事前にワークショップ参加者が、「これだ」と思う提案だけを考えてきて、プログラムは参加者みんなの合議で決めていくというもので、非常に斬新的であった。この話をMITで上田信行先生にしたところ、即、このワークショップ形式を検討していただいたようで、2011年に「REMIX2011@neomuseum」というイベントでコンセプトを採用していただいたように思える。当時、私自身は吉野でのイベントには参加していなかったが、先の「プレイフル・ラーニング」の本の中でイベントの詳細は紹介されている。

そのオンライン版。どうなるのだろうと思っていたら、事前に配れた「ミッションカード」。当時のイベントのイラストを基にして描かれたもので、統一感があり、更には、「自己紹介」から「トークTシャツのロゴ」、そして「トークテーマ」などなど、様々に準備をしなければならないことがあった。自己紹介するだけでも面白くなり、Facebook Group 上での見えない繋がりが繋がりを呼び、大変ビックリしていた。また、親子での参加者や10年前のイベント参加者からの繋がりなど、多種多様で、「繋がっていそうなのだけど、繋がっていなかった」という感覚がイベントが始まる前に得られたのが大きい。

そして、事前に送付されてきた贈り物。「Tシャツ」「メッセージボード(ホワイトボードタイプ)」「お茶」「チョコレート」と実に参加者の一体感を出すにはうってつけのアイテムだった。オンラインイベントの参加条件は、ドレスコードが「送れてきたTシャツを着ること」であったため、皆、同じTシャツを来て、イベントに参加することが出来た。場は共有できなくても、アイテムを共有することで一体感が高まるのだなと感じた。

更に、オンラインイベントがスタート。ウォーミングアップとして、みんなで一緒に「ダンス」することから始まる。夏休みに毎朝、ラジオ体操をやっていた私にとってみれば、その妙な一体感が好きであったが、それと似た疑似体験をすることが出来た。そして、ブレイクアウトルームに分かれて、2人っきりでの自己紹介。2分間で喋らなければならないから、強制的に喋るようになるし、とにかくセット数が多い。今回は8回行うと、参加者同士で2回目ましての人が現れる。こういう偶然も面白かった。個々の意識をとがらせる時間と全体で場を共有する時間とが見事に分かれていて、非常に面白かった。何から何まで初めての試みを運営スタッフ自体も楽しみながらやっていくことは並大抵のことではなかったと思うが、参加していて純粋に楽しかった。

そして、最後にきちんと「リフレクション」があった。そして、出来会ったのが特別な雑誌「un」。準備のところからイベント中の風景、イベント後のリフレクションまで実に細部にこだわられたものであった。「なつかしさ」もありつつも、どこかで「次も」と思わせる仕掛けが満載であったなと思っている。

オンラインでもオフラインでも、気持ちを一つに出来る場の存在というのはとっても重要だと思ったし、更には意見を真剣にぶつけあわせるということの大切さを改めて感じた。具体的に明日行動できることがあるわけではないと思うが、こういうものの積み重ねによって学びが一つ一つ昇華していくのだろうと思っている。

July 13, 2021

「%」の不思議さ

最近、谷崎潤一郎の「途上」という初期の頃の短編小説は日本文学の中で「確率」の概念を導入した初めての小説であるという評価を教えてもらった。個人的には、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」という随筆が好きで、日本から旅立った友への餞別で送った本である。谷崎潤一郎の文章に込められた世界観からは「新しい概念」を導入していこうという感じがする。

私はひょんなことから、「乱数」というものを研究することになったのだが、「乱数」と「確率」はきってもきれない関係にある。私の研究は突き詰めると、「自然現象の中に確率概念があるのだろうか?」という問いに尽きる。これは私個人の研究課題であって、日本に「確率」という概念がどのように日常に根付いているというのは非常に興味深い。


天気予報で毎日聞く「降水確率」。「20%」くらいなら、今日は傘を持っていかなくても良いと感じられているのは何故なのだろうと思う。

また、あまり良い例ではないが、下記の竹中平蔵氏が東日本大震災後の地震に関する「確率計算」に端を発したウェブ上の考察は「竹中平蔵氏の確率論」と呼ばれていて、日常的には「確率」の概念が根付いていないことを露呈させたと思う。

「あえて単純計算すると」というところの意図は分からないことは注意したい。ただ、「モンティ・ホール問題」の時は、どのように考えるのか?ということは知りたいが、「確率」に騙されることは多い。

最近、コロナ禍になって、再び、「%」ということを耳にする機会が多くなってきた。今回の話は、統計学に基づくもの。

「おそらく同じであろう」というサンプルから少数回の試行だけをすれば、きっと、「おそらく同じであろう」というサンプルの中の確率を推論することが出来る。

というロジックに基づいている。実証データにおいて、「おそらく同じであろう」ということをどのように検証すれば良いのかという画一的な方法論があるわけではないと個人的には認識している。ただ、個々人にとっては、「統計学」に基づいた「確率」が問題ではない。「かかる」か「かからない」かの問題であり、最近、話題のワクチンの副反応の問題も「出る」か「出ない」かの問題と極端に捉えることも出来なくもない。一人一人が「サイコロ」を振って、「当たり目が出るか出ないか」ということに依存した世界観が嫌だという意見もあってもおかしくないし、いくら統計学に基づいたものであっても、個々人に起こってしまった問題は別問題である。この観点は、哲学者であるマルクス・ガブリエルの著書でも指摘されている。「統計学」に基づきすぎた価値判断ばかりに囚われていると、目の前で起こってしまっている現象に対して対応できなくなる可能性も指摘されている。どうやったら、「%」というものの日常的な感覚を会得できるものだろうか?

May 16, 2021

「大学教員・先輩が歩んだ道」

一度は半分以上の授業が対面となり、賑わいをみせていたキャンパスが、今ではどんどん静けさを取り戻しているようになった。そんな議論が始まった4月24日(土)の夜に何か私にも出来ることはないのだろうか?ということで、Golden Week 特別企画と題して、「大学教員・先輩が歩んだ道」という連続セミナーイベントを企画した。最初に思い浮かんだのは、現在、大学で教えている学部1年生。折角、大学での勉強を楽しみにしてきた学生さんたちが、新型コロナウィルスという未知なる社会現象と対峙しなければならず、右往左往してしまっている姿はさすがに何か出来るのではないか?と考えた。セミナーシリーズのスピーカーは私の独断と偏見で選んだもので、「みんな違って、それでいい」というメッセージが何とか伝われば良いかな?という人選にしたつもりだ。すべて自分が築き上げてきた人脈で、今回のスピーカー陣があっという間に決まった。今回、協力できなかった方を含め、様々な方のご協力のもと、今回のスピーカーを集めることが出来たのだと思っている。この場を借りて感謝したい。更に、休憩中に何も「シーン」としているのが嫌だったので、メンバーの一人が友達で、最近インストルメントを中心に活動を始めた 陽kage の楽曲を使用させていただいた。また、事前に Zoom の接続チェックを友達としたり、友達に恵まれたなぁ。。。と思った2日間だったと思う。

一方、当初は Zoom のブレイクアウトルーム機能を使って、遠く離れた友達と仲良くなろうという企画を予定していたが、時間もなくて一切できなかった。こういうオンライン上での出会い場を創出する工夫は出来なかったと感じている。この点は反省しなければならない点だと思う。もし、ご覧いただいて、感想等ありましたら Google Form 上から投稿していただければと思う。

個人的には非常に密度の濃い2日間で、ドップリ疲れた。オンライン授業を受けている学生さんたちは、日々知らないことが出てくる授業を特に1年生などは朝から夕方まで受けていると思うと、ゾッとする。2日間で辛いのだから、週5日も真剣に人の話を聞き続けるのは難しいだろう。そんな中、日々の授業は続いていく。一大学教員として、この状況の中で何をすべきかということを考えさせられる。そんな中、本セミナーシリーズが皆さんの何かしらのヒント、きっかけになればと思っている。

5月4日(火)

1限目:北川 拓也 w/ 成川 礼, 鹿野 豊 [対談形式]

2限目:登 大遊

3限目:中田 陽介

4限目:髙山 晶子

5月5日(水) 

1限目:平 理一郎 w/ 鹿野 豊 [対談形式]

2限目:成川 礼

3限目:道林 千晶

4限目:高田 修太