May 4, 2020

教科書依存症

 新型コロナウィルス(COVID-19) 拡散防止のための対策として、緊急事態宣言が出されて早1ヶ月。「巣籠もり生活」と呼ばれる日々を皆さん送っています。私の場合、職場は緊急事態宣言を出されるのと同時にキャンパス閉鎖となり、学部長の許可無しにキャンパス内に入構することが出来なくなりました。学会や研究会・セミナーもほぼオンラインに移行し、すっかりパソコンの前で何かしらのオンラインツールを使ってお仕事をするということに慣れてきました。その一方で、ミーティングの量は減り、時間がとれるようになったので、「今がチャンス」と思い、本業である「研究」が格段に進むとも当初は思っていました。

 だけど、実際に「巣籠もり生活」をしてみると、なかなか思うようにスケジュールが回らず、「失敗もたくさんして」なかなか思うように進まないと思う日々を過ごしています。特に、「巣籠もり生活」=「書き物がたくさん出来る時間」=「論文執筆時間」(論文執筆は、「研究者」ということを仕事をしている人の最終的なアウトプット媒体です。昔も今も変わらないでいることは何故なんだろうと考えされます。)と思って、実際に多くの論文が執筆されていると聞いています。そのうち、「科学計量学」というべき分野の方々から定量的な分析が出てくるかと思いますが、「社会活動」と「研究論文」が密接に関連しているということは科学史の様々な事実から証明されていると思います。私が専門としている「量子力学」の形成にも「鉄鋼業の発展史」という「社会活動」が密接に関わっていたということは言うまでもないですし、更に言えば、山本義隆著「古典力学の形成」「磁力と重力の発見 1巻2巻3巻」、そして「16世紀文化革命 1巻2巻」を読むと、社会的背景があって近代物理学が誕生したということが読み解けます。当時、学問をやられていた人たちはそんな風には思っていなかったと思いますが、ある意味「必然」だったのではないか?と思うような感じに話が構成されているようにさえ感じます。さて、自分自身は論文執筆の「時間」だけは増えたものの、効率は極端に落ち、なかなか進まないという日々。それでは、何故、「論文執筆が進まないか」を考察してみようと思うようになりました。

 キャンパス閉鎖が決まり、その閉鎖開始日の前日、キャンパス外から内側のネットワークにアクセス出来るためのVPNアクセスを点検・整備したりしていました。更には、自分自身が持てるだけの「本」を持って帰ってきました。「巣籠もり生活」は今まで勉強してみたかった分野の本を時間があるので勉強してみようと思い、今まで読んだことがない本を持ってかえってきました。そして、「巣籠もり生活」をしている家には「本棚」がなく、今まで、家では職場で出来なかったことの続きが出来るような体制を組んでいたように思います。そのため、「教科書」など勉強してきたものは基本的には「職場の本棚」にあるということです。このような状況で、一からいざ論文を書いてみようと思うと、なかなか進みません。その理由で私が行き着いたのは
自分自身の研究を一から構成していない
ということでした。これまで10年ちょっと「研究論文」を書いてきました。それぞれに大なり小なり「新しい発見」「新しい知恵」を論文の中に入れ込んできたつもりです。しかし、自分自身のやってきた論文は、「誰かの論文や研究分野の基礎知識のもとに、それに積み上げる形」で研究を行ってきたことに気づかされました。これ自体、別に「研究活動」ということを行う上で当たり前のことではあると多くの「研究者」は賛同してくれますし、問題はないと思うのですが、問題なのは、自分の書こうとしている論文の基礎知識の多くを「教科書」の知識に頼り、自分自身で全てを再構築することが出来ないことでした。つまり、「教科書依存症」。「あの教科書のあのページあたりに書いてある」から確認したいということが多く、その「ちょっとの確認」が出来ないが故に論文執筆が進まなくなっているのではないか?と思うように至りました。一度、自分自身が勉強した「纏まっている」知識である「教科書」(もちろん、間違って書かれている部分もありますが)に自分自身の研究のベース知識を関連させていたのではないか?と分析するようになりました。自分自身の能力の現状をどのように受け止めるべきか、まだ戸惑っている部分がありますが、今後、自分自身の知識の整理の仕方をもう一度見直してみたいと思うようになりました。

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