2025年8月17日

EXPO に行ってみて

 ちょうど今から20年前、名古屋で愛・地球博があった。当時、私は大学3年生だったが、この万博というお祭りを後方から眺めていたのを今でもよく覚えている。東京の北の丸公園内にある科学技術館。その横にある小さなオフィスでお仕事を私は世界物理年日本事務局のお手伝いをしながら、この様子を見ていた。

おびただしい数の関係者がいて、調整しなければならないものも多く、更には、ほとんど日程が動かせないように見えるくらいギチギチな感じで、何個も同時並行にプロジェクトが走っている。裏方の人たちはそれらを調整するのに奔走していたのを覚えている。実は何個のプロジェクトが走っていても、実際のところは裏方の人たちの腕で決まってしまうところが多く、ほとんど1人か2人の信頼できる裏方のところに情報が集まってきてしまい、ほとんどパンク寸前みたいな状態の自転車操業状態であった。今でも脳裏に焼き付いているのは、膨大な資料の山。印刷するのが当たり前みたいな時代だったので、対面の会議を開くのも一苦労であった。今思い返してみても、あの量をよくさばいていたなと思う。現場に調整に行くこともしばしばで、名前もほとんど知られる事のないこの裏方の人たちの情熱が失われた瞬間に、大イベントはたちまち立ち行かなくなるだろうなと思っていた。そんな感覚だった。

私はこの人たちから仕事を横で見せてもらい、見様見真似で仕事を覚えていった感覚である。どうやってお互いが仕事をしやすいようにするかとか、同時並行のロジの立て方とか、私が最初にこのようなイベントを運営していたのは、岡山で開催された第1回 物理チャレンジである。私は事務局のアルバイトのような立場であったが、結局、人がいなくて、様々な人のサポートを受けながら事務局そのものを担当していたように思う。

そこから20年。大阪・関西万博があり、今週は内閣府・文部科学省主催の「エンタングル・モーメント ―[量子・海・宇宙]× 芸術」の開催されており、SNSを通じて、多くの研究者が関わっている。こうやって始まってみると、見えないところでも一生懸命、開催準備のために動かれていたことに感謝でしかない。だが、私が EXPO に行ったのは、このイベントに主席するわけでもなく、「いのちの遊び場 クラゲ館」(テーマ:いのちを高める) を担当している中島さち子プロデューサーが主宰したシグネチャーイベント「世界遊び・学びサミット」のフィナーレで上田信行先生が作詞をした「希望の詩」を披露するために参加した。当日は強風のため、EXPO アリーナで予定されていたマオリ族のハカを披露するイベントが突如中止になってしまい残念に思っていたところ、クラゲ館で急遽、イベントが開催される事になり、なんだかんだで移動。どうしようかなぁ~とフラフラしていたら、他の仲間たちと合流することとなり、待っていたら、偶然真横にクラゲ館を設計した小堀哲夫さんがいらっしゃった。小堀さんはそのままハカを見たけど、イベント会場のトークイベントに突如参加することになり、さっきまで同じ観客席にいた小堀さんを今度は観客席からステージ上で見ることに。

クラゲ館に行く直前は小堀さんと一緒に写っている設計者の山崎さん、大石さんの案内で「森になる建築」を見学。お二人の設計者としての情熱を感じる作品だった。

最後は、私も WASSE 内に設置されたステージへ。歌唱指導をしてくれた ゴスペル集団 Soulmatics の皆さんもダンス指導をしてくれた Dance Educator の福岡小百合さんも一緒に。ステージにあがっても偶然の産物が多く、SNS でそれを見た高校の部活の後輩から突然連絡が来たりとビックリすることの連続。そして、裏方さんの存在であたかも当たり前にステージに立たせてもらっていますが、刻一刻と現場で時間調整しながら進められていたと思う。


結局、万博という場は、20年経っても一部の人の情熱で支えられて運営されており、突然起こってしまう出会いをどれだけ楽しめるかということがポイントなのだと。その集客のために、パビリオンがあったり、ステージがあったりして、人と人との出会いの可能性を高めているのかなぁ、と考えてしまう。20年前も暑かったと記憶しているが、20年間で技術力が進んだのか?なんなのか分からないけど、熱中症であったりするリスクが高まっていたり、無理をしたくても物理的にできないことも多くなってしまっている。関係者の方々は体力を残しながら最後まで走り抜けることができたらと思っている。そして、万博はゴールじゃなくて、「はじまり」「きっかけ」なのだと思いますので、関係者の皆さんもイベントが終わった後も体力が残っているくらいで進めばいいなと願っている。

2024年4月8日

How to discover your own path

以前、キャリアの探し方に関する英語のエッセイを執筆したので、その再掲です。新年度なので掲載してきます。
    Upon entering university, you may think that you are free to do whatever you want as a student. Your parents, seniors, mentors, and teachers will often say that you will discover what you want to do and freely engage in it within the university campus. While such student-based curiosity-driven activities are always welcome and even strongly encouraged by faculty members, will you easily find what you want to do? Or do you need to decide on what you want to do during your student life before entering university? I think that it is extremely hard to discover your own path and determine what to study. When you speak openly about such worries with your friends in the campus, you will find that many students share your concerns as they too face troubles regarding similar matters. 
    Looking back at my freshman year, I had not decided on my future career and what I wanted to pursue in the university. When some of my friends shared their dreams and future careers, I always asked myself why I enrolled in this university. Furthermore, even when I received my doctoral degree nine years after entering the university, I struggled to identify a career direction and understand what I needed to do as an academic researcher. The lesson I learned from my student life was that it is most difficult for one to recognize one’s abilities and to decide on what one wants to pursue. Fortunately, right now, I have discovered my own path and am enjoying science as a physics researcher. 
    Unfortunately, there is no systematic or unique method to discover your own path and determine what to pursue during your campus life. Nevertheless, you do not want to spend boring days in the university. When you ask somebody about what to do in the campus life, they may suggest that you actively and enthusiastically participate in classes, part-time jobs, and extra-curricular activities. However, you may not heed their advice. In such situations, you may become annoyed. As a university student, controlling such uneasy feelings is a challenge. When your friends discover and forge their own paths, you might compare yourself with them. However, such comparisons are unnecessary because each individual is essentially different from you and will pursue different careers. You should only evaluate yourself. When you walk around the campus, you may notice strange monuments, an unusually-shaped classroom, or an uninspiring building and accidentally cross paths with classmates. Casual conversations between friends may inspire your heart and alleviate your worries. The university campus may bring forth serendipitous events to inspire ambition. Because nobody knows when opportunity will present itself, the preparation period—that is, period of feeling uneasy and unsure—is important. Therefore, one should make the most of such moments.

 

Illustration: courtesy of Misato Kusakabe [myaguro]



2024年4月3日

知識と智慧


新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今頃は、新しく始まる大学生活に期待と不安が入り混じっている頃ではないかと思います。私自身、20年以上前、大学に入学した際の頃、何を考えていたのかを思い返すと、何事にも全力投球をしようとしすぎて、肩に力が入りすぎていた事を思い出します。入学式の日、学長を始めとして、何人かの方が貴重な祝辞をいただいたと思うのですが、申し訳ないことに、今では全く記憶に残っておりません。何となく毎日、楽しそうだという理由だけでキャンパスに行き、「とりあえず、やってみよう」という精神で突き進んできました。キャンパス内で偶然なのか必然なのか分からない出会いが様々あり、結果として楽しく充実した大学生活が過ごせたことは間違いないかなと思っております。そのような多様な機会は一度には処理できない程の情報量があり、それを全部見てからでないと決断できないとなると、心身共に疲れてしまうのではないかと思っております。自分自身のアンテナを常に張り巡らせながら、自分自身の直感にかけてみるというのも良いのではないかと思っております。

さて、私自身、決して模範となるような学生ではなかったということは、当時、周囲にいた人たちが大勢証言してくれると思いますが、大学の授業で何を学ぶことが重要なのかということを教壇に立つようになってから考えるようになりました。大学院生の頃、担当させていただいていた1年生の物理学(力学・電磁気学)の演習では、今となっては難しい骨のある演習問題ばかりをやってもらっていたような気がします。骨のある演習問題を研鑽することで、「1人では解けない問題がある」ということを具現化することを心掛け、それをクラス内の人たちと共有することによって、自然とグループワークを行うことを推奨してきました。これは、前職の群馬大学の1年生の物理学(力学・電磁気学)の授業においても基本的には同じ方針でしたが、コロナ禍ということもあり、「一緒に学ぶ」ということが難しい時期であったので、ブレイクアウトルームなどを多用して工夫をしていた思い出があります。しかし、前職の授業方法を振り返るうちに、「何故、物理学という科目を教えなければならなかったのか?」という疑問に再度ぶつかりました (過去の疑問はこちらより)。大学教育における教養というのは「物理学」という学問に対する「知識」を身につけることだったのか?という疑問です。年々増加してきている「答え」を追い求めてしまう体制であったり、先端的なものを追いかけようとする態度は、どうしても「知識」を手に入れたいという欲求に似ている気がします。ただ、「知識」は常にアップデートされ続けていくものであり、そのいたちごっこを続けなければなりません。そのようなすぐに古くなってしまう「知識」を膨大にかき集めても、大学卒業時に何が残るのか?という疑問は尽きません。私自身が学生時代より「知識」の生産スピードは格段に上がり、頭の中をパンパンにさせて卒業させていくことが重要なのでしょうか?専門職に就き、大学で得た「知識」がすぐに役立つというキャリアパスもあるでしょうが、大学で学ぶ大半の学問分野は「知識」がすぐに役立つということは稀有なのではないでしょうか?そこで、大学の中で学ぶべきものは「智慧」なのではないか?と思うわけです。授業というコンテンツを通じて、大学教員は自分自身の考え方を表現する場を与えられ、その考え方・学問に対する姿勢を見せていくことが重要なのではないかと思います。そして、これまでに学問を築き上げた偉人たちの考え方を伝達することで、「知識」ではなく「智慧」を授けることが出来るのではないか?と思うに至りました。ただ、「知識」は一方的に1人でも会得することが出来るとは思いますが、「智慧」を1人で会得することは私は非常に難しいのではないかと思っています。そのために、大学には広大なキャンパスがあり、その中で切磋琢磨することでしか会得できない「智慧」が詰まっているのではないかと感じております。

改めて、大学生になった皆さん、入学誠におめでとうございます。大学生活を楽しんでもらえればと思います。

追伸:
筑波大学生で私と話をしてみたいという方がいらっしゃいましたら、気軽に第3エリア 工学系学系F棟 (第3エリア前のバス停の一番高い建物) 911号室にお越しいただければと思います。

2023年10月2日

筑波大学に赴任しました

本日、筑波大学システム情報系の吉瀬系長から辞令をいただきまして、筑波大学システム情報系に着任しました。今後とも皆さまにはお世話になりますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

着任日初日の昨日は、創基151年筑波大学開学50周年の日でした。51年目の歩みを迎える大学に着任できたことで、また開拓者としての気持ちで筑波大学での研究・教育・運営を行っていく予定です。私自身が最も驚いていますが、物理系の所属ではなく、システム情報系情報工学域というところの所属になり、学部生は情報学群 情報科学類から。大学院生は 理工情報生命学術院 システム情報工学研究群 情報理工学位プログラムという所属になります。研究室は「物理情報システム研究室 (Physico-Informatics and Systems Laboratory)」と名付けました。研究室は誰でもいつでもウェルカムですので、遊びに来てください。


基本的に理論物理学者なのに、何故、システム情報系の所属になったのかは本当に不明ですが、計算機の歴史を辿ってみると、少しはそのヒントがあると思い、「計算機と物理学」の間を検討してみたいと思います。

私は東京工業大学で学生を送っていた時代にマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学しました。学科は機械工学科でしたが、MITの古い学科の中に電気工学科の周辺では、過去、Vannevar Bush というアナログ計算機の研究者がいました。素晴らしい研究経歴もさることながら、米国科学財団 (NSF) を設立したということでも知られております。更には、サイバネティクスの産みの親である Nobert Wierner と情報理論の産みの親である Claude Shannon を見出したことでも有名で、世界で一番有名な修士論文と称される現在の「デジタル回路の基礎」(指導教員はHitchcock 型輸送問題で有名なFrank Lauren Hitchcock) がその後のデジタル計算機の誕生へと導いていきました。最初に出来た電子式デジタル計算機の最初のアプリケーションとして知られているのは、John von Neumann が平方採中法と呼ばれる「疑似乱数」で、それが「モンテカルロ法」の原点でもあります。これは計算機革命で起きた「計算機の中でランダムを再現できる」手法だったのです。このJohn von Neumann が電子式デジタル計算機である ENIAC の応用事例として有用だと考えた「気象予報」に対して、貢献してきたのがノーベル物理学賞受賞者の真鍋叔郎先生です。真鍋叔郎先生は正野重方先生のお弟子さんでした。その正野重方先生を気象の道に勧めたのが、物理学者である寺田寅彦先生であるという記録があります。

もう一つの系譜として、寺田寅彦先生に憧れをもって集まった「サイバネティクス研究会」の面々は、その後、「ロゲルギスト」と名前を変え、「物理学の散歩道」を執筆することとなりました。そのメンバーの一人は、物理学者の高橋秀俊先生でパラメトロン計算機を発明された高橋秀俊研究室の学生の後藤英一先生とともに、日本の計算機研究者のパイオニアとされています。

また、Vannevar Bush と共にマンハッタン計画に関わった John Wheeler の系譜は、「情報と物理」の関係から産まれた物理の概念が沢山あり、その一つにかくまっていた物理学者 David Deutsch Charles Bennett の可逆計算機の話を聞き、「間違った物理法則を適用している」と思ったを契機に「量子計算機」のアイディアを想起したという歴史があります。

こうやって歴史を振り返ってみると、寺田寅彦流の物理学を展開しつつ、高橋秀俊のような挑戦者がおり、John Wheeler のグループを中心とした議論が発展し、次の計算機革命を起こそうとしております。そのため、物理学者がシステム情報系にいるというのは不自然ではなく、むしろ必然だったのではないかとさえ思えてきます。

私は、師匠の細谷暁夫先生の学術的師匠である内山龍雄先生が留学していた John Wheeler のような研究室を展開したいと思っており、現代流にアレンジされたものを展開していきたいと思っております。

また、量子電磁力学で発展を残してきた朝永振一郎先生や固体でトンネル効果の実証をなされた江崎玲於奈先生が学長を務めてきた大学に身を置き、学際的な研究を行えることは非常に嬉しいことです。中でも、江崎玲於奈先生が残された「Five Don't Rule」は忘れないためにも最初に書いておきたいと思います。

  1. Don’t allow yourself to be trapped by your past experiences.
  2. Don’t allow yourself to become overly attached to any one authority in your field – the great professor, perhaps.
  3. Don’t hold on to what you don’t need.
  4. Don’t avoid confrontation.
  5. Don’t forget your spirit of childhood curiosity.
今後、様々な困難が待ち受けていると思いますが、これまで培ってきたものを活かしながら前に進んでいきたいと思っています。そのためには、皆さんの協力が不可欠です。是非ともよろしくお願いします。

2023年9月30日

群馬大学を退職するにあたり・・・

既にお知らせさせていただいた方もいらっしゃいますが、群馬大学理工学府理工学基盤部門の准教授として、2021年4月1日に着任し、本日をもって退職いたします。初めての地方国立大学に赴任し、更に主に初年次教育に携わってきました。在任中、群馬大学の皆さまには本当にお世話になりました。気持ちよく、スムーズに送り出していただいたことに感謝しております。


様々な大人の事情が重なり、基本的には群馬大学荒牧キャンパス内に研究室は主宰していたものの、研究室配属の学生さんは1人もおりませんでした。更には、インターンシップの学生さんも誰も採用しませんでしたし、リクルートすることもしませんでした。


群馬大学在任中は、まとまったアウトプットがなく、何をしていたのだと言われそうですが、基本的には大量に本を買い込み、黙々と勉強していました。基本的には1人で研究を進めなければなりませんでしたので、何かの研究に本来は没頭するのがセオリーだったと思うのですが、着任した当時、プロジェクト研究から外れて、久々にPIとして研究室を整備することになったので、私の指導教員である細谷暁夫さんが
「定職を得た研究者が胸の高まりも無く、ただ論文の数を増やし、科学研究費を獲得して行くことの方がいいのだろうか?冒験者の大部分は失敗し、ごく少数のものが新しいコンセプトを切ち開くのではないだろうか?私には失敗を覚悟で冒険することが、僥倖によって定職を得た科学者の道徳的義務とさえ思う。」
と定年退職をする際に記事に残していたのを思い出し、ただただ漫然と研究していくことはやめようと思いました。ただ、テニュアトラック制度としての採用であったため、本来は「定職を得た研究者」にはなっていませんでしたが、何かしら新しいことをやっても研究は出来るだろうし、5年の期間中には何か出来るだろうと思いました。

群馬大学在任中にプロジェクトとしては以下のようなもので、今まで研究したことのないものが多かったような気がします。
  • 量子乱数の研究:JSTさきがけ「セキュア量子乱数に基づくハイブリッド量子秘密計算基盤の創出」の研究課題ももとで本来はもっと進めるべきだったと思いますが、研究課題が採択された慶応義塾大学時代とは状況が異なり、思うようには研究が進まなかったと思っています。在任中の2022年のノーベル物理学賞の受賞理由が「ベルの不等式の破れ」であり、「ループホールフリー」のベルの不等式の破れは実証されていますが、更なる研究として「真性乱数」の存在を見破らなければなりません。そのため、まだまだ研究の余地が残されているように思えます。これは今後、引き続き研究をしていきたいなと思っています。
  • 量子品質工学の研究:JSTさきがけ「セキュア量子乱数に基づくハイブリッド量子秘密計算基盤の創出」の研究課題から派生された研究だと思っていて、量子情報技術を発展させる上で重要なコンセプトだったと思います。桐生高等工業学校(現、群馬大学理工学部)出身の田口玄一博士のように品質工学の発展形を目指していました。まだまだ時間がかかるなぁ・・・というのが正直な感想です。
  • 原子核物理と量子情報科学の融合:原子核物理分野で第一原理計算をやられている阿部 喬さん(現、慶応義塾大学量子コンピューティングセンター特任准教授)に学生時代に東工大の研究室で大変お世話になったことをきっかけに原子核物理屋さんと議論していました。理化学研究所にある RIBF を用いた実験プロジェクトに誘われ、あれよあれよという間に一緒に実験を行っていました。まだ何も論文を書いていませんが、そのうち原子核物理と量子情報科学が融合できるような研究が出来たらよいなぁ・・・と思っています。その意味で、量子力学黎明期の発展を支えてきた原子核物理を勉強出来たのはとっても良かったと思っています。この際、初めて組織として関与したかったので、同年代で研究室を主宰していた加田渉准教授(同じく、今日で退職。)と鈴木真粧子准教授に関わっていただきました。また、機器分析センターにはお世話になりまして、特に技術職員の坂本広太さんにはお世話になりました。研究上では群馬大学在任中、一番時間を割いていたかもしれません。笑 それが故に、色んなものとの繋がりが分かってきて、今後に対して、何をしなければならないのかという道筋も見えてきました。
  • 機械学習の応用研究:実験データにこれまで以上に積極的に触れる機会が多くなってきましたので、そのデータ解析手法として機械学習で使われている手法を沢山勉強し、それを応用する際の問題点が何であるのかを調べてきました。物理のような何かを解明していくタイプの研究ではなく、いささか場当たり的な感じもしましたが、純粋な数理的な理論体系を実データに応用していくことの難しさが何であるのかということを実感しました。こんな遊びから生まれた研究論文は2報 (Scientific Reports, Annalen der Physik) まとめられています。
  • 物理教育の研究:ひょんなことがきっかけで、大学の物理教育誌に「はじめての講義」という欄に記事を執筆することになりました。着任当時、まだコロナ禍の真っ只中であったことを良いことに、基本的にはオンライン授業で学ぶ意義を考えたりしていました。教授法も手探りでしたが、予備校でもなく、大学の従来の教育法でもないものに挑戦してきました。そして、模索していく中で、「大学の物理教育は、教育の担い手は研究者で自分自身の研究対象にはデータをとったりと論理的・定量的に分析するためのツールを考えるにも関わらず、教育は感覚的・理念的になってしまうのは何故だろう」と思うようになり、授業アンケートなどを積極的に活用しながら、授業改善を行うというより前に、授業の在り方・教養の在り方を定量的に分析していくことが重要であろうと思うに至りました。認知心理学の知見などを取り込みながら、どういう授業スタイルが教員にも受講している学生にもハッピーな形になりえるのかを「研究しながら」考えていました。
こんなに統一感なく研究が出来たのは、地方国立大学で特定のテーマを決めず、研究室の学生のテーマを考えることなく楽しめたからだなぁ・・・と思っています。本当にメリットだったと思っています。また、基本がオンライン授業であったからこそ、週に1度くらいしかコロナ禍後もオフィスには行かず、引越さなかった家の近所の武蔵小杉オフィスを構えて、日々、色々な試行錯誤を行ってきました。このような体制を許していただいた皆さんには感謝しております。お陰様で、最低限ではありますが、研究は進展したと思っていますし、群馬からどこかに出張することは非常に大変ですが、武蔵小杉からであれば、気楽に出張できました。また、コロナ禍を通じて家のあった元住吉の住民の皆さんと積極的に交流するようになり、私が知らなかった世界を次々と見せてもらいました。結局、慶応義塾大学着任時から住み始めたので、合計5年半住んでいました。商店街文化も根付いていて、元住吉は本当に「住みよい」街でした。ありがとうございます。

また、一概に「地方」と言っても、交通のアクセス状況によって、事情が様々に異なるということも理解でき、統一的な「地方大学の問題」というものは、あまり存在していないのではないか?と思いました。でも、予算が削減されている問題を肌で実感し、新しいことを動き出そうにもゴミが残されたままで出来ない問題があったりと、今まで以上に何をしていくことが良さそうなのか、そして、持続可能なスタイルはどのようなものであるのかということを考えてきました。今まで、国立の研究機関、中央の国立大学、中央の私立大学、地方国立大学と赴任してきましたが、それぞれに問題は山積していますが、それぞれに楽しみながらやってきました。もちろん、今回の群馬大学も非常に楽しくやらせていただいかと思います。ありがとうございました。色々な方々に支えられ、プライベートには色んな事があった期間ではありましたが、楽しめたことには感謝しかありません。ありがとうございました。そして、明日から新しい職場ですが、今後ともよろしくお願いします。

2022年2月5日

unmeets

久しぶりにブログを書くことにした。オミクロン株 (SARS-CoV-2の変異株B.1.1.529系統) における新型コロナウィルスの影響が猛威を奮う前、奈良・吉野「neomuseum」(同志社女子大学の上田信行先生のおつくりになったワークショップ専門ミュージアム)で「unmeets2022(アンミーツ2022)」というイベントが計画され、参加する予定にしていた。

このイベントは、どちらも教育を専門とする専門家である同志社女子大学におられた上田信行先生と現在は立教大学に異動された中原淳先生の共著で書かれた「プレイフル・ラーニング」という本が出版されてから10年という節目の年に企画された企画であった。

上田信行先生とは、私自身がMITに留学していた時に同時期にMITメディアラボにいらっしゃっていた先生で、毎回、異種交流戦での会話を楽しんでいた記憶がある。帰国後も、私を同志社女子大学のゼミに参加させてもらったり、いきなり、「旅する neomuseum」という Facebook ライブ限定のラジオ配信イベントにゲストとして出させてもらったり、更には、「場のデザイン」というコンセプトで様々な建築家の方々と交流があり、その現場に参加させていただりと、非常に楽しい時間を過ごさせてもらっている。ワークショップのデザイナーと呼ぶべき上田信行先生は、日々違う仕掛けが必ず用意されていて、毎回、最初は多少なりとも不安になるものであるが、その日が終わった時には言い表しようがない達成感に満ち溢れている。

何かの機会に見つけた今回の「unmeets2022」のイベント。「会うこと」の意味を考えるというワークショップで非常にテーマが興味深かったこと、更には、まだ行ったことのない奈良・吉野の地へ出向いてみたいと思い、参加申し込みをしたが、見事にオミクロン株の拡大のためにイベント自体は延期。代わりにオンラインイベントを開催することになった。そこには、対面イベントでは感じることが出来なかった「オンライン上で会う」ためのヒントが様々に隠されいたように思える。

まず、事前準備。私が2008年3月に Michael Nielsen という業界のスター研究者がトロントで一般の人も巻き込んだイベントをするということで、トロントの街に初めて行きたいということもあって、申し込んだ「SciBarCamp @ U Toronto」というイベント。私は当時幸いなことに Michael Nielsen のオフィスがあった Perimeter Institute for Theoretical Physics というトロントから少し離れた Waterloo というカナダの小さな田舎街に滞在していた。そこで、イベントの準備をしている Michael Nielsen に出会い、どうしてこんなイベントをやっているのか?更には、どのような事前準備が必要なのか?ということを学んだ。そこで、出会ったのが会議のプログラムを事前に全く決めない Unconference 形式というワークショップ形式であった。当時の私は、今よりも英語で表現するのが非常に難しく、色々と苦労することがあったが、1日の最後にパブで行われる組織委員だけのミーティングに参加して、翌日のワークショップがどのようなものになるのか?ということを検討していた。それは事前にワークショップ参加者が、「これだ」と思う提案だけを考えてきて、プログラムは参加者みんなの合議で決めていくというもので、非常に斬新的であった。この話をMITで上田信行先生にしたところ、即、このワークショップ形式を検討していただいたようで、2011年に「REMIX2011@neomuseum」というイベントでコンセプトを採用していただいたように思える。当時、私自身は吉野でのイベントには参加していなかったが、先の「プレイフル・ラーニング」の本の中でイベントの詳細は紹介されている。

そのオンライン版。どうなるのだろうと思っていたら、事前に配れた「ミッションカード」。当時のイベントのイラストを基にして描かれたもので、統一感があり、更には、「自己紹介」から「トークTシャツのロゴ」、そして「トークテーマ」などなど、様々に準備をしなければならないことがあった。自己紹介するだけでも面白くなり、Facebook Group 上での見えない繋がりが繋がりを呼び、大変ビックリしていた。また、親子での参加者や10年前のイベント参加者からの繋がりなど、多種多様で、「繋がっていそうなのだけど、繋がっていなかった」という感覚がイベントが始まる前に得られたのが大きい。

そして、事前に送付されてきた贈り物。「Tシャツ」「メッセージボード(ホワイトボードタイプ)」「お茶」「チョコレート」と実に参加者の一体感を出すにはうってつけのアイテムだった。オンラインイベントの参加条件は、ドレスコードが「送れてきたTシャツを着ること」であったため、皆、同じTシャツを来て、イベントに参加することが出来た。場は共有できなくても、アイテムを共有することで一体感が高まるのだなと感じた。

更に、オンラインイベントがスタート。ウォーミングアップとして、みんなで一緒に「ダンス」することから始まる。夏休みに毎朝、ラジオ体操をやっていた私にとってみれば、その妙な一体感が好きであったが、それと似た疑似体験をすることが出来た。そして、ブレイクアウトルームに分かれて、2人っきりでの自己紹介。2分間で喋らなければならないから、強制的に喋るようになるし、とにかくセット数が多い。今回は8回行うと、参加者同士で2回目ましての人が現れる。こういう偶然も面白かった。個々の意識をとがらせる時間と全体で場を共有する時間とが見事に分かれていて、非常に面白かった。何から何まで初めての試みを運営スタッフ自体も楽しみながらやっていくことは並大抵のことではなかったと思うが、参加していて純粋に楽しかった。

そして、最後にきちんと「リフレクション」があった。そして、出来会ったのが特別な雑誌「un」。準備のところからイベント中の風景、イベント後のリフレクションまで実に細部にこだわられたものであった。「なつかしさ」もありつつも、どこかで「次も」と思わせる仕掛けが満載であったなと思っている。

オンラインでもオフラインでも、気持ちを一つに出来る場の存在というのはとっても重要だと思ったし、更には意見を真剣にぶつけあわせるということの大切さを改めて感じた。具体的に明日行動できることがあるわけではないと思うが、こういうものの積み重ねによって学びが一つ一つ昇華していくのだろうと思っている。

2021年7月13日

「%」の不思議さ

最近、谷崎潤一郎の「途上」という初期の頃の短編小説は日本文学の中で「確率」の概念を導入した初めての小説であるという評価を教えてもらった。個人的には、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」という随筆が好きで、日本から旅立った友への餞別で送った本である。谷崎潤一郎の文章に込められた世界観からは「新しい概念」を導入していこうという感じがする。

私はひょんなことから、「乱数」というものを研究することになったのだが、「乱数」と「確率」はきってもきれない関係にある。私の研究は突き詰めると、「自然現象の中に確率概念があるのだろうか?」という問いに尽きる。これは私個人の研究課題であって、日本に「確率」という概念がどのように日常に根付いているというのは非常に興味深い。


天気予報で毎日聞く「降水確率」。「20%」くらいなら、今日は傘を持っていかなくても良いと感じられているのは何故なのだろうと思う。

また、あまり良い例ではないが、下記の竹中平蔵氏が東日本大震災後の地震に関する「確率計算」に端を発したウェブ上の考察は「竹中平蔵氏の確率論」と呼ばれていて、日常的には「確率」の概念が根付いていないことを露呈させたと思う。

「あえて単純計算すると」というところの意図は分からないことは注意したい。ただ、「モンティ・ホール問題」の時は、どのように考えるのか?ということは知りたいが、「確率」に騙されることは多い。

最近、コロナ禍になって、再び、「%」ということを耳にする機会が多くなってきた。今回の話は、統計学に基づくもの。

「おそらく同じであろう」というサンプルから少数回の試行だけをすれば、きっと、「おそらく同じであろう」というサンプルの中の確率を推論することが出来る。

というロジックに基づいている。実証データにおいて、「おそらく同じであろう」ということをどのように検証すれば良いのかという画一的な方法論があるわけではないと個人的には認識している。ただ、個々人にとっては、「統計学」に基づいた「確率」が問題ではない。「かかる」か「かからない」かの問題であり、最近、話題のワクチンの副反応の問題も「出る」か「出ない」かの問題と極端に捉えることも出来なくもない。一人一人が「サイコロ」を振って、「当たり目が出るか出ないか」ということに依存した世界観が嫌だという意見もあってもおかしくないし、いくら統計学に基づいたものであっても、個々人に起こってしまった問題は別問題である。この観点は、哲学者であるマルクス・ガブリエルの著書でも指摘されている。「統計学」に基づきすぎた価値判断ばかりに囚われていると、目の前で起こってしまっている現象に対して対応できなくなる可能性も指摘されている。どうやったら、「%」というものの日常的な感覚を会得できるものだろうか?

2021年5月16日

「大学教員・先輩が歩んだ道」

一度は半分以上の授業が対面となり、賑わいをみせていたキャンパスが、今ではどんどん静けさを取り戻しているようになった。そんな議論が始まった4月24日(土)の夜に何か私にも出来ることはないのだろうか?ということで、Golden Week 特別企画と題して、「大学教員・先輩が歩んだ道」という連続セミナーイベントを企画した。最初に思い浮かんだのは、現在、大学で教えている学部1年生。折角、大学での勉強を楽しみにしてきた学生さんたちが、新型コロナウィルスという未知なる社会現象と対峙しなければならず、右往左往してしまっている姿はさすがに何か出来るのではないか?と考えた。セミナーシリーズのスピーカーは私の独断と偏見で選んだもので、「みんな違って、それでいい」というメッセージが何とか伝われば良いかな?という人選にしたつもりだ。すべて自分が築き上げてきた人脈で、今回のスピーカー陣があっという間に決まった。今回、協力できなかった方を含め、様々な方のご協力のもと、今回のスピーカーを集めることが出来たのだと思っている。この場を借りて感謝したい。更に、休憩中に何も「シーン」としているのが嫌だったので、メンバーの一人が友達で、最近インストルメントを中心に活動を始めた 陽kage の楽曲を使用させていただいた。また、事前に Zoom の接続チェックを友達としたり、友達に恵まれたなぁ。。。と思った2日間だったと思う。

一方、当初は Zoom のブレイクアウトルーム機能を使って、遠く離れた友達と仲良くなろうという企画を予定していたが、時間もなくて一切できなかった。こういうオンライン上での出会い場を創出する工夫は出来なかったと感じている。この点は反省しなければならない点だと思う。もし、ご覧いただいて、感想等ありましたら Google Form 上から投稿していただければと思う。

個人的には非常に密度の濃い2日間で、ドップリ疲れた。オンライン授業を受けている学生さんたちは、日々知らないことが出てくる授業を特に1年生などは朝から夕方まで受けていると思うと、ゾッとする。2日間で辛いのだから、週5日も真剣に人の話を聞き続けるのは難しいだろう。そんな中、日々の授業は続いていく。一大学教員として、この状況の中で何をすべきかということを考えさせられる。そんな中、本セミナーシリーズが皆さんの何かしらのヒント、きっかけになればと思っている。

5月4日(火)

1限目:北川 拓也 w/ 成川 礼, 鹿野 豊 [対談形式]

2限目:登 大遊

3限目:中田 陽介

4限目:髙山 晶子

5月5日(水) 

1限目:平 理一郎 w/ 鹿野 豊 [対談形式]

2限目:成川 礼

3限目:道林 千晶

4限目:高田 修太

2021年4月1日

松無古今色 竹有上下節

3月31日をもって、慶應義塾大学量子コンピューティングセンターを離職しました。3年前、何もなかった34棟312号室(コモンスペース)を目の前に、高いパーティションが置かれた机と椅子だけからスタートした居室からスタートしました。IBMさんがこだわりをもって設計したコモンスペースのデザインを実際に工事していただいてる業者さんと毎日のように顔を突き合わせる毎日から必要な備品を揃えていくところまで、様々な方々の協力のもと、一通りのものを揃えることを突貫工事ではありましたが揃えることが出来ました。


研究的にはひょんなことから「乱数」の研究ということをスタートさせ、「量子乱数を用いて量子計算機の安定性を評価する」という研究の方向性を見出しましたが、なかなか大きな潮流を作れなかったことは個人の力量のなさが露呈したところだと思っています。

個人的には、生まれた病院がすぐそばにあり、「量子計算機」の概念を提唱した David Deutsch の論文の submit した年と生まれた年が同じだということで、「量子計算機と同じ年」ということをネタにしていましたが、今回のセンターはご縁が深かったのではないか?と思っております。

学内外に多大なるご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。また、色んな面でサポートしていただき、ありがとうございました。

さて、本日、4月1日より群馬大学大学院理工学府理工学基盤部門の准教授として着任しました。理工学部・理工学府の本体がある桐生キャンパスではなく、荒牧キャンパスという群馬県前橋市に研究室があります。1年次の基礎教育を担当するということで、何から何まで初めてずくしなのですが、僥倖にしてアカデミアの世界に残ることが出来たので、研究・教育ともに精進していきたいと思います。今後ともご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。連絡先等に関しては、こちらをご覧ください。

2020年8月15日

戦後75年

2020年始め、まだ新型コロナウィルスが世界中には猛威をふるっていない頃、私はポーランドのクラカウというところにいた。その直前に研究会がフランスのマルセイユであり、マルセイユはフランス全土に拡大してしまったデモの影響で、空港に行けるか行けないか微妙なところだった記憶さえある。その研究会に参加していた友達が私に

「クラカウに行くなら、是非、アウシュヴィッツに行くといい。人生観が変わるよ。」

とアドバイスをしてくれた。2020年1月26日、綺麗な街「クラカウ」からツアーに参加し、アウシュビッツに行ってみた。

「#Auschwitz75」というハッシュタグが至るところにあり、そこで初めて気づいた戦後75周年。アウシュヴィッツもマスコミの方々がいらっしゃるのに、凄い静寂の中にある。広島の原爆ドームに行った時は、活気ある街並みから一転、重苦しい空気に包まれたような感じがしたが、アウシュヴィッツは敷地面積の広さからあたり全体で重苦しい空気が漂っているような気がした。






「学校で何が学べたのだろうか?」と思うことがあった。「目の前」にある現実は、そんなに素直に受け入れられることはなかったと思う。それは帰国した今でもそうだ。要所要所で写真を撮り、「目の前」の現実を直視する。学校では教えてくれない、けど、学ぶことがなければ知ることのない「歴史」。「歴史を繰り返さないための心」を育むということが重要なんだろうと思う。

第一キャンプでは、「Gas Chamber」という単語を何度も聞いた。「Chamber」自体は物理実験で良く使う単語であり、その後、何度か実験室見学をしたが、「Chamber」という単語を聞くたびに思い出す。それくらい強烈な出来事であった。

そして、だだっ広い第二キャンプ。1月のポーランドはとっても寒く、温かい飲み物で暖をとらないといけないほどだった。それでも、「自分の目で見てみたい」と思い、キャンプの中を見学する。


キャンプの中で、ユダヤ人たちが歌っていた歌。今でも歌の意味は分からなかったけど、その歌声が広大な敷地のキャンプの中で悲しく響いているのを今でも思い出す。


戦後75周年。「我々は何を学んできたのであろうか?」
友達が言ってくれた一言で、私の目の前に焼き付いた光景が「過去、現実に起こってしまったこと」であるということを知った。しかも、そう遠くない過去に。もし、私の身の回りでクラカウに行く人がいれば、私も友達のようにアウシュヴィッツに行くことをお勧めしたい。

2020年、新型コロナウィルスで世界中がパンデミックになってしまったが、今日、その1日くらいは「平和」について考えていきたい。

2020年8月13日

Alone Together

この言葉は MIT で技術社会論を専門とする認知心理学者のシェリー タークルの書いた本のタイトルである。彼女の講演はインターネット上を検索すれば山ほど出てくる(例えば、TED トーク)。


私は最近、オンライン上の数日間に渡る集中講義を受講してみた。集中講義の内容は私が今勉強してみたい内容であり、非常に楽しいものであった。だが、1日2時間講義の途中に訪れる「10分休憩」の時間は苦痛で仕方なかった。家で一人ポツンと画面越しの前で10分間無言になる。人数が多ければ、なかなか雑談をやる雰囲気にもならない。更には、誰かがしゃべってしまったら、誰かが喋れなくなってしまう。私自身、コンピュータから音楽をかけてみたり、それなりに「寂しくならない」方法を模索してきたつもりである。でも、この焦燥感みたいな感じは何なのだろうか?今のような「ソーシャルディスタンスの確保」が叫ばれている状況においては、オンラインでの講義というのは、Better Solution のような気がしているが、アナログの機能を補完するように設計された「テクノロジー」による「負の側面」はきちんと認識したい。おそらくこれは教育テクノロジー(EduTech) 以外にも言えることなのだろう。先日、少し紹介した「アナログの逆襲」という本の中に、「テクノロジー過信」による「負の側面」に関しては様々な具体例をもって示されている。

また、新型コロナウィルス拡散防止策により、2020年度後半も「オンライン講義」の機会が減ることはないように思える。もちろん、「オンライン講義」によってプラスになった側面も沢山ある。例えば、「いつでも、どこでも」学べる環境というのが、インターネット環境を整えれば実現できることを示してくれたようにも思える。ただし、これは今までの講義の「保管」or「代替」という訳ではなく、「新しい教育方法」の手段の一つではないだろうか?オンラインの向こう側で、一人一人が「学びたい」という意欲に馳せ、同じ想いを共有している時は良いだろう。ただ、「学びたい」というきっかけを与えてくれる「体験」がどこまで出来るのだろうか?「オンライン講義」の時代に考えなければならない大きな課題なのではないだろうか?と思う。

最後に、戦前のブロードウェイで上映されていた「Flying Colors」の中で歌われていた「Alone Together」の Youtube 楽曲を聞きながら、物思いにふけたいと思う。

2020年7月24日

ラインナップされた道具


「道具」を使う人もいれば、もちろん「道具」を作り出す人もいる。どちらが欠けてもいけないと思う。そのバランスはとても重要で、別に「道具」によって産まれる「新しい思考」や「新しい需要」があるのと同時に、今必要だと思う「道具」もある。使い手と作り手の共作になるのではないか?と思っている。また、皆のためにある「道具」もあれば、その時だけ必要不可欠なパーソナライズされた「道具」もあると思う。その時々によって、「道具」に求められることは変わるし、その使用法も変わってくるであろう。

「道具」の使い方を色んな人から学ぶということは非常に良いと思う。もう少し前のことになってしまったが、とある学生さんから「オンライン授業」の出方というのを教わった。私自身にとってみれば、1つのデバイスの前で1つの授業を見るというのが普通だと思っていたが、彼の道具の使い方は違った。同時に複数の授業を立ち上げて、面白そうなものだけの音声をONにするのだと。そのような発想は自分自身の中には無かったので、早速、自分自身でもやってみた。私の場合、教えてくれた彼とは最大3つまでということが分かったが、自分なりの「道具」の使い方を会得するというのはとても重要だと思う。

ただ、「道具」を作り出そうとしている人にとってみれば、どんな「道具」を作るか?ということが鬼門であろう。以前作っていた「道具」を見ながら、特定の性能だけを磨き上げるという発想もあるであろう。しかし、これだけが「道具」づくりではないと思う。みんなが作りたくなるような「道具」を想像し、創り出すということの方がもっと面白いのではないか?と思う。そうなると、これまでの「道具」との性能比較はしなくても良いではないか?だって、どのような使い方をされるのか?ということに関しては未知数なのだから。だからこそ、「道具」は色々とそろえるのが良いのだと思う。適宜、出くわした問題に応じて「道具」を選択できるように、常に準備し続けられる「道具」を作ることこそ、本当に必要なことなのではないだろうか?

2020年7月20日

道具の使い方

出来ることが増えてくると、必然的に使える「道具(ツール・技術)」も増えてくる。何かあっても、「道具」を使って何とかまとめたりすることが出来るような気になる。しかし、一体、「道具」は我々を守るためだけにあったのであろうか?

最近、コンピュータの歴史を調べる機会が多く、そんな中で「思考のための道具―異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか?」およびその update 版?「新 思考のための道具 知性を拡張するためのテクノロジー ― その歴史と未来 」という本に出くわした。丁寧に取材を重ねた形でまとめられた本であり、コンピュータの歴史を知るにはうってつけの本であった。この本のタイトルにあるように、「道具」は「何かの目的のため」になくてはならない。そして、適切な「道具」を選択し、適切に使うことで「道具」の本来の威力を発揮するのであろう。普段の生活の中では、適切な道具を知らず知らずのうちに選択している。少しばかりの要件があり、「メール」を打つ。書くのが面倒だからという理由で「電話」をする。その時々によって、適切な「道具」の選択を知らず知らずのうちにやっている。

ただ、「思考のための道具」をきちんと選択したことがあるだろうか?自分自身の思考を深めるために、どのような「道具」が必要か?ということはあまり考えられていない気がする。しかも、「思考」は自分の体一つで出来ると思うからであろうと思う。自分の体一つで出来るものほどこそ、なかなか体に染みついた習慣を変化させることは難しいと思う。それを助けてくれるのが「道具」なのではないだろうか?どうやったら、自分自身の思考を深めることが出来るのか?を今一度考えてみる良い機会なのかもしれない。

暗号解析機 @ Bletchley Park

2020年7月19日

再び「学ぶ」勇気


今からちょうど1か月前に、「学び」についてのブログを書いた。現在、オンライン授業で様々な観点から「教育体制の再構築」への模索が始まっているように感じる。私自身、このような取り組みは現在のような異常事態において、良い試みなのではないか?と思う。ただ、一方で、「教育のやり方を変える」というコンテクストでは、今までの「授業の仕方」や「教科書の内容」が悪者扱いされるケースも多い。単純に比較をすることで、「教育体制の再構築」に関する論点を明確化しやすいという反面、今までの「授業の仕方」や「教科書の内容」そのものの評価というのがきちんとされているのか疑わしい。私個人としては、これまでになされてきた「教育」そのものが悪かったのか?と思うと、少なくとも私が受けてきた教育はそんなに悪くなかったのではないか?と思っている。私の立場に一番近い、大学の授業を例に、初年次くらいを想定した「授業」について考察してみたい。
注:私自身は大学教員ではあるものの、授業を担当しているわけではないことに注意されたい。

大学の初年次の「授業」内容は、何となく変わり映えのしないものが多いように感じる。特に、所謂、理系と呼ばれる学問を学ぶ場合、「知っておくべき」内容というのが非常に多い。大学に入学した頃には全く意味の分からなかった科目も多いと感じる。そして、私の場合は、授業にそのうち出席しなくなって、自分で勉強を始めていた気がする。自分自身を養護するわけではないが、大学での「授業」の意義というのは、「学び」を日常化するというのが大きな使命なのではないか?と思う。歯を磨くのと同じように、意識しなくても「学ぶ」姿勢を身につけることを、それぞれの科目を通じて学んでいるのではないだろうか?その上で、「学ぶ」姿勢が習慣化されていない人においては、半ば強制的に「学ぶ」姿勢を「授業」という定期的にあるものを通じて、習慣づけていくことが出来るのかもしれないと思う。「授業」に出席することが目的ではなくて、「学ぶ」姿勢が身につけば良いのではないだろうか?私自身、ティーチングアシスタントとして大学院生時代に教壇にたっていたが、大学1年生の「基礎物理学演習」という科目の中で、「学ぶ」環境づくり(学びあえる友達をつくる)ということを意識して授業をしていたが、それは「学ぶ」姿勢を習慣づける意義があったのではないか?と思っている。

それでは、(ある意味、つまらない)「科目の内容」についてはどのように考えるべきなのだろうか?学部の前期課程についての「教育内容」というのは、私個人の感想では、授業を受けたその時点では意味は分からないかもしれないけど、将来、何かで困った時に、「戻ってこられる」ポイントを作ることなのだと思う。私自身も論文執筆過程で、学部の授業で習ったことが分かっていなかったと思い、「線形代数」や「微分積分」の1年生向け教科書を復習したりしたことがある。(というより、そんなことが頻繁である。)「力学」や「電磁気学」を何度勉強しても、新しい発見があるように思えるし、様々な視点からみると、更に面白く内容を理解できているように思える。ただ、30歳も超えて、今さら大学1年生の「教科書」を手にとり勉強するという姿は何とも恥ずかしい。だからこそ、そこには「学び直す」勇気が必要なんだと思う。

2020年7月1日

「憧れ」の日常化

「憧れの最近接領域」
この言葉は、ロシアの心理学者レフ・ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」を教育のコンテストの中で発展させた同志社女子大学名誉教授の上田信行先生の言葉である。
「あなたがいるから頑張れる」「君と一緒だからもっと上を目指せる」。他者の存在が、自分の可能性を広げていく、そうした希望を込めて、僕はそう呼んだのです。(プレイフル・ラーニング p.83)
とコアなアイディアが書いてあるように思える。私自身、上田先生とは MIT で研究していた時に MIT Media Lab の中でお会いした。フットワークの軽快さと貫かれている信念のようなものがうまくミックスされ、一緒にお話をしていると、とにかく勉強になるし、楽しい。


一方で、「憧れ」が「憧れのまま」ではないだろうか?私自身、MITに行き、ボストンに住む前の「アメリカ」と住んだ後の「アメリカ」のイメージは180度変わってしまったというくらい変わっている。私自身は、「アメリカへの憧れ」はあまり無かったが、「海外に住むことへの憧れ」はあったように思える。ただ、「住めば都」という諺があるように、「案外、普通」という感覚に陥った。しかし、「憧れの存在」が何か同じ「人間」のやったことではないというような、「近づけない存在」として捉えてしまっているのではないだろうか?そんな感覚に陥っていることはないだろうか?たまに、「教科書の人」と言われている過去の偉大なる研究者が「天才的」に描写されることがあるが、「偉大なる業績を残した研究者」も案外、人間味があるということは伝記を通じて学んだり、実際に生きているのであれば、会ってみたりすると分かる。

「見えないもの・見ていないものを盲目的に憧れる」ということは、何となく物事の本質を表している気がしてならない。

2020年6月19日

「学び」という日常

この世には、失敗もなければ偶然もない。すべての出来事は、私たちに与えられた恵み、何かを学ぶ機会なのだ。

エリザベス キュープラー ロスという精神科医の格言である。今回の COVID-19 対策での在宅勤務や在宅学習は、色々なことを一時的に機能をストップさせたり、低下させて、普段考えないことを考える時間がとれた方も多かったのではないかと思う。

私自身、普段ではなかなか出来なかった自分自身と向き合う時間が増え、雑談に代わるものとして、毎日、何かしらの本を読み、こんな状況だけど、色んなことを勉強できたと思っている。

また、日々、「学びを止めるな」というスローガンのもと、「教育」に注目が集まっていたのも事実のように思える。オンライン化できる部分はして、「学ぶ機会」をというものも多かったが、最終的にはどのようなことを「学んで」欲しいのだろうか?

「学ぶ」という事は、学校に行き授業を受けることでも、友達と話すことでも、そのあたりを散歩している時でも出来る。日常生活から仕事をしている時まで、「学び」の機会は落ちている気がする。それを「学ぶ」か「学ばない」かを判断するのが自分自身であるということだけなのではないか?そうすれば、「学べない」時はきっとないだろう。ただ一方で、何かをやっていこうとする上で、「学ばなければならないこと」ということはあるであろう。そのような「学ぶ機会」は最低限提供されていなければならないのではないだろうか?

コロナ禍において、「大学の役割」とは何だろうか?ということを考える機会は多くなったような気がする。また、そのようなオンラインシンポジウムなども開催されるようなことが多くなったように思える(ただ、目にする機会が増えただけかもしれないが)。「学び」が日常化すれば、決して、新しいこと(研究分野)を勉強しようという抵抗もなくなるのではないだろうか。「学ぶ日常」をトレーニングする場として「授業」というのは機能している部分があるのではないだろうか?

2020年6月10日

「言葉」にする弱み

言わぬが花

という諺は、「言わない」ことに対する美学が詰まっている。

研究者の最終的なアウトプット形態は今も昔も変わらず、「論文」と言われる「紙」ベースのものに「言葉」を紡ぐことである。メディアアートなどの「作品」を実際に展示するようなアウトプットの仕方に対する模索も続いているように感じられる。だがしかし、このように「作品」を展示するものを良しとしている学術領域でさえ、結局のところ、「研究者の言葉」で書かれた「論文」で審査されている。論文に書かれたことを重視する研究者にとって、「言葉の重み」を感じることは良くある。このあたり考えは、「異化の勧め」のポストに纏めてある。

一方で、直接的に「言わない」「言葉にしない」というのは大きな力があるのだと感じることもある。COVID-19 の緊急事態宣言で再び取り上げられるようになった「日常」という言葉ではあるが、「日々考え続けていること」「日々やっていること」は当たり前になりすぎていて、「言葉」にしない。最も、「言葉」にはしないけど、皆、同じことを考えながら行っているという集団は、「言葉」にするよりも強固なものを感じる。

提供

私は昔、ボストンに住んでいた。ボストンに行くことになった経緯は突発的なことが重なっていったことではあるが、アメリカに住んでみる前までは、「アメリカに住むのは嫌だな」と正直思っていた。その理由は単純であった。

The United States is the number one. 

という考え方が嫌いだったからである。確かに統計的なデータを見れば、当時、アメリカという超大国は「ナンバーワン」であることが多い。ただ、「皆まで言うな」と思っていた(というより、今でもそう思っている)。実際、ボストンに暮らし始めてみると、先の考え方はアメリカの表面的な側面を捉えているに過ぎないということを感じることが多かった。実際に、先の考え方を表現している場面に出くわすのは、大統領選か新しくアメリカに来た人と会った時に「何故、アメリカに来たのですか?」という質問の答えの時くらいで、日々、暮らしていく中で「The United States is the number one.」という言葉を聞いたことはほとんどなかったのではないかと思う。また、アメリカは何でもかんでも「言わない」といけないと誤解されることも多いが、何でもかんでも「言えば」いいというものではないということを知った。こうして、ボストンを去る頃には、「ボストンはまた戻ってきたいと思う場所」になっていた。あれから10年ほどが経ち、アメリカは様変わりしてしまったと感じる日々も多いが、「言葉」にしていない「強さ」があるのだろうと思っている。

2020年6月1日

新しい時代のアナログとは?

今年度より京都大学情報学研究科の研究科長をなさっている河原達也さんが書かれた「COVID-19 パンデミック下における情報学の展開」を読んだ。オンライン時代の先陣をいくと言って過言ではない「情報学研究」の視点から、COVID-19 パンデミック後の世界観までを描いている見事な論考であると思う。

このパンデミックの前まで AI ブームと言われていましたが、感染の動向や感染者の症状を予測する AI も、どういう治療をすればよいか判断する AI も開発されていません。しいて言えば、感染者の行動履歴を追跡しておいて、濃厚接触者を同定するソフトはありますが、国家権力が強くない国では運用が困難です。これほど世界中に大量の事例サンプルがあるにも関わらず、専門家の直観で判断されているように思われます(それを否定するものではありません)。

この部分が私の最も賛同できる部分である。現在の「情報技術」の限界について、内部の専門家の意見から発せられたという意味も重要である。だからこそ、今後、「ローマは1日して成らず」という諺があるように、しっかりとした準備を行っていけば「情報学が貢献出来る可能性」があるという重要なメッセージがこめられていると私には思う。

しかし、「情報」というと「デジタル」な事を思い浮かべることが多い。私自身の「情報学」の理解では、インプットとアウトプットの関係性に対して、中身をブラックボックスにしたまま「定量的な尺度」を与える学問なのだと思っている。「データ圧縮の限界(者オノンエントロピーの起源)」「通信容量の限界(通信路符号化定理)」など、情報科学の基礎と知られるものは、「「情報」とは何か?」ということを問題にするよりも、「定量的に表現出来る情報」とは何か?ということを考えていたように思える。個人的には恥ずべきことであるが、情報科学の基礎をきちんと勉強したのは大学院卒業以後のことである。マクスウェルの悪魔に関する論文を一緒に執筆している際にシャノンの原論文を読んで勉強した。

一方で、「情報社会」の基盤を支えているのは「アナログ」の要素抜きでは成り立たない。我々が取り扱える部分(インターフェイス)はデジタル仕様になっていても、最終的には「アナログ」な部分に支えられている。近年、「ポストデジタル」時代を想像する本が増えてきたように思える。例えば、「アナログの逆襲」という本の中では、「アナログ的な体験」の重要性について述べている。また、そのような具体的な取り組みに関して紹介されている。一方で、「アフターデジタル」で主に展開されているように「極限まで」オンライン化していく世界像を描いている本もある。そんな中でも「アナログ的思考」が若干垣間見える部分があって面白い。自粛期間で「繋がっていない」苦しさを感じる機会も多かったが、一方で、自分自身を見つめ直す良い時間であったように思える。

何かと繋がっているよりも、身体的に感じられる方が重要なのではないか?

ということに気づいた2ヶ月間であった。今までの研究活動を振り返ってみると、「地に足のついた」研究に憧れを感じる。きっとこれも「アナログ回帰」の一端なのかもしれない。


2020年5月30日

グッドハートの法則


あまり聞き馴染みのない法則であると思う。私がこの法則を知ったのは、昨年、GigaScience という雑誌に掲載された「学術論文統計」における分析がなされた論文のタイトルに書いてあったからである。論文の主旨はメタ分析科学の論文で非常に読み応えがあると同時に様々なことについて考えさせられた。グッドハートの法則とは、

Any observed statistical regularity will tend to collapse once pressure is placed upon it for control purposes.

という経済学の経験法則であり、ルーカス批判キャンベルの法則とも類似性があるということが知られているらしいがあまり詳しくは知らない。

ただ、これを我々がやっている自然科学研究に適用みようとする。自然現象の本質に迫ろうとすればするほど、コントロールされた状態に自然現象を押し込めたくなる。たまにコントロールサイエンスと呼ばれる。一方で、自然現象を知ろうとするには非常に良い手法な気がしており、「対象群」と「コントロール群」との差において、示したい「概念」「法則性」をサポートする結果はどの科学技術分野にもある研究スタイルだと思っている。しかし、コントロールサイエンスが極限まで行き過ぎると、結局のところ、「自然の何を理解したかったのか?」ということが分からなくなってしまう。そんな状態に陥ってしまった学問分野は少し考えただけでも沢山浮かんでくる。自然の「ありのまま」の姿を浮き彫りにしたいはずであった私が専門とする「計測科学」においても、同じようなことにならないように気をつけなければならない。

コロナ禍において顕著になってきたことのように思えるが、様々なことは「統計データ」を見て判断されているように感じることがあるし、「統計データ」だけを見て賛否を明らかにしなければならない状況というのが沢山あるように思える。ただ一方で「統計的な指標だけ」に頼った判断というのは、愚かな結果を生じやすいというのが歴史の教えてくれることではないだろうか?

2020年5月27日

結果の不平等 / 機会の平等

r (= 資本収益率) > g (= 経済成長率)
 
一時、話題になったフランスの経済学者であるトマ・ピケティの「21世紀の資本」の最終的な結論である。200年以上の膨大な資産や所得のデータを積み上げて分析した(使用している統計データは全てウェブサイトに公開されている)ということで、分量が極めて多く、正直、書斎のインテリアとしての「本」の価値があるような本だと思われる。一方で、専門的な見地から賛否様々であるということはウェブサーフィンをすればすぐに分かることであるが、「経済統計データを分析した」という評価には値するのだと思う。ただし、上記の不等式は賛否はあれど、「結果の不平等」さに関して言及しているのだと理解している。誰かが評価したり、評価基準を作ってしまう以上、「結果の不平等」というのは解消されないのだと思う。なので、「結果」だけを見てしまうというのは、いかがなものか?という論調が出てくるのも理解出来る。

COVID-19 の緊急事態宣言は先日解除されたが、未だに多くの教育機関では同じような授業スタイルが展開出来なく、オンライン授業に移行したり、それが様々な制約のために出来なかったりしているのが現状だと思う。また、「9月入学」の議論が再燃し、その議論の過程の中でも著名になった中室牧子さんの書かれた「「学力」の経済学」においても「統計的なデータ(=結果)」から判断すべきであるということが本質的には書かれており、5年前くらいから「データサイエンス」の重要性が様々な分野においても言われ続けてきたように思える。

ただ、緊急事態の中で「結果(=統計データ)」に関して妙に敏感になるのは何故なのだろうか?原発事故の際の放射線量、COVID-19 のPCR検査の陽性者数、どちらもハードウェアエラーが含まれているにも関わらず、「統計的なデータ」で判断されてしまう。このあたりは私が習ったような単純な「マクロ経済学」の知識だけでは太刀打ちできないのだと思うし、「行動心理学」や「社会心理学」といったパーソナルな部分との関連性の中に答えが見いだされることが多いように感じている。

一方、「結果の不平等」さ故に、「機会の平等」が保たれていないと判断するのは拙速な気がする。この「機会の平等」は特に「教育」において重要視される傾向にあると思う。コロナ時代のオンライン教育実施論で話題にのぼっている「教育格差」が拡がってしまうという論調は、本来は、様々な制約から「機会の不平等」の議論であるにもかかわらず、「結果の不平等」に目がいってしまっていると思う。また、「教育」の次は「ダイバーシティー」に関する議論であるように思える。これは、とある国際会議において「東京宣言」と呼ばれる文章の策定に関わった際に勉強をした 国連持続可能な開発目標 (SDGs) の目標の中にも組み込まれていると個人的には理解している。また、「No one left behind」というコンセプトは、「機会の平等」についての担保をしようという心がけなのだと理解している。ただ、「機会の平等」は統計的な指標では一概には測りにくいが故に、どのように品質を保証していけば良いかが分かりにくいのも問題である。また、全てのことで「機会の平等」が担保されるべきのだろうか?という論点もあるであろう。何を「最低限」担保しなければならない「機会の平等」であるのかを今一度、考えてみる機会になっているのだと思う。